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るうへに、太平記は、東國西國のことは、すへて傳聞のまゝを書たるにて、地, 文字にて、古浦と書たらんとおもふなり、豐田城は、厚東駿河入道か、居城な, し間の事ならんとおもへは、かた〳〵十一月十二日の合戰は、一色大友と, 城は、誰か城なりしや、しられねとも、長門の國人の、將軍方にてありし者、一, れは、直冬朝臣は、此入道を頼みて、暫くひそかに、居られしと見へたり、一宮, なれとも、其頃は、さるかなつかひの沙汰なとは、たへて世になき事なりし, 合戰して、散々に敗軍し、ほひに筑紫にたまりか浮て、長州のはうに落退れ, し成へし、少貳か籠りし古浦城は、いつくなるにや、今はさる地名も聞へさ, 名なとも、聞まかへたる事おほけれは、いよ〳〵さたのならぬことなまと, はあらぬにか、甲良は假名にして、かうらとかき、古浦は、こうらとかくこと, を追退、少貳を救ひたること見へたるも、直冬朝臣の、いまた筑前に居られ, 小貳か古浦城にて、一色入道に圍れて、難儀したりしを、武光後措して、一色, も、古浦は、筑後高良なとを、となへのおれしろる故、古浦と書なしたるにて, かは、たゝ耳に聞へたるを、其文字をもたつねす、こう良といふより、やかて, 色大友にかたらはれ、豐後筑前の勢を引入て、豐田を攻めんと、取構し所に, 南朝正平七年北朝文和元年十一月十二日, 爲ニ直冬, 一色大友, 連合軍ノ, 敗ラル, 豐田城ニ, ツイテノ, 考, 南朝正平七年北朝文和元年十一月十二日, 一九四
頭注
- 爲ニ直冬
- 一色大友
- 連合軍ノ
- 敗ラル
- 豐田城ニ
- ツイテノ
- 考
柱
- 南朝正平七年北朝文和元年十一月十二日
ノンブル
- 一九四
注記 (25)
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