『大日本史料』 6編 35 応安4年是歳~応安5年6月 p.291

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れたる事又證たるべし云々、, り、貞治第二之暦姑洗強半之春云々、五湖釣翁とあり、これは良基公の作名也、耳底, の趣意もつとも二條家の規模たるべきものなり、卷末に頓阿のふみあり、次に奧書あ, に尋ねたまひしことを一々批判申されたる趣を書つらねて、一書としてかく名づけら, てもありしかたちは、夢ものこらで、法に身をやつしたまへるさま、げにとおもひなが, るこゝちすめれば、立かへりみる、かれもおなじくたちかへり給ふを、よく〳〵みれば, たかの山へまかり侍りけるに、つえのほどしてまたがりたる木に、ころもをつゞらかづ, ん、案内せんとてさきにたち給ふ、しりにつきて、むかしいまの事ども聞えあはせ、さ, らやうのものにてからめつけて、坂をおりくる僧あり、ゆきちがうて、おもかげの見た, れし也、愚問は良基公の問、賢注は頓阿の答也、頓阿は爲世卿の門人なれば、此注, 綱元なり、いかにといへば、いとふいのたいめんかな、行こゝろはけふならでもありな, 記に云、井蛙抄・愚問賢注などは流布して人の世に用ゆるものなり、堯孝などのいは, 後普光園攝政良基公和歌のよみかたにつきて、不審の條々をしるし出され、頓阿法師, 〔高野日記〕, 〔高野日記〕頓阿, 頓阿, 高野日記, 南朝文中元年北朝應安五年三月十三日, 二九一

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  • 高野日記

  • 南朝文中元年北朝應安五年三月十三日

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  • 二九一

注記 (19)

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