『大日本史料』 6編 46 永和元年12月~永和2年6月 p.143

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く候、, んに御うち出候て、やきはらはるへく候、こなたの事は御心やすく候へく候、, まかり出候はんと存候、せたニもしはらくこらへ候て、京の御合力の後うち出候へと、, 仰かふりて候へとも、あまり無念ニ候間、まつうち出候はゝ、一合戰仕へく候、御同, 定て候間、その左右ニ付て、近日にこれも陳を肥前國符ニとりむかへ候へく候、これの, 候なる間、としあけに立は、二月中は必々まかりつけ申候ぬと、目出候、我等かとく, 一左右ニ付ていそき〳〵申へく候、菊池もしこなたにむかい候はゝ、そのひまにそのへ, し候て、御ともの人々以下さゝれて候、大内入道か御返事ニ付て、御發向候へしにて, 豐前ニ打越候て、少弼か野中郷司か城に候と、一ニなり合候て、筑前□に可打出之由、申, 勢をつかはし候て、可對治候、やかていとしま邊の事もさたし候へく候、子細候まし, むねといくさし候物とも、一族家人三百與人同心候て、豐後ニ越候て、吉弘入道相共ニ, て候へとも、かい〳〵しく申さす候間、大内新介渡海候、これは父子中たかひ候ほとに、, 一松浦事は、波多一人心替候間、煩なく候、一そくとも一同ニ申子細候間、二三日中二, 一京の御合力の事は、將軍の御おとゝ若君御下向候つきニ治定候、すてに御下思ほしめ, 將軍弟若君, 下向治定, 大内義弘即, 後ニ渡ル, 南朝天授二年北朝永和二年正月二十三日, 一四三

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  • 將軍弟若君
  • 下向治定
  • 大内義弘即
  • 後ニ渡ル

  • 南朝天授二年北朝永和二年正月二十三日

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  • 一四三

注記 (20)

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