『大日本史料』 7編 4 応永6年7月~同8年4月 p.238

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十二月、大内義弘泉州にて合戰有りし時、大内か近親杉九郎正之、森口と, 此由上聞に達しけれは、早々馳集り, 應永六年, りけれは、御所を初め、管領以下何れも今日の働拔群成と感せらるゝ、泰, へきお、, 勢を殘し、荒手少々引卒し、血に成たる鎧著て、鞍に首三付させ、御陣へ參, とだ書たりける、勢共よりて見きる者、きにもとそ云けお、唐堯四海を〓み, 御先手に加はり、彌軍功これ有へき由仰下され候間、泰範則つかれたる, 申所に、大勢にて籠りしを、攻へき由にて、結城越後守政廣を加勢に被下, 範則御先へ馳加はり、終に城を攻落し、敵乃大將大内義弘嫡子新介を降, しかは、泰範は大内か縁者なれは、公方御心をも置かれけるにやと思案, しけるを、此上意を承り、忝さ肝に銘し、自身先陣に進み、森口に向ひ、入か, して九州平き、虞舜三苗を伐て一天穩なりきるも、此御代には過しとそ覺, 參させ、めしとりて參りける、此時公方御正筆の御感書を泰範に下され、, 〔今川記〕一泰範は上總介にて、伸秋の後に侍所を給りけり、, へ〳〵攻戰ひ、中國勢百六十人討取り、大勢を追散、森口の城を攻落しけ, る, カヽル、十一月是月ノ條ニ收ム, ○中略、宮田時清ヲ攻ムルコト一, ○中, 略, 弘茂ヲ降, 泰範森口, 參セシム, 城ヲ陷ル, 義滿ノ感, 状ヲ受ク, 應永六年十二月二十一日, 二三八

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  • カヽル、十一月是月ノ條ニ收ム
  • ○中略、宮田時清ヲ攻ムルコト一
  • ○中

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  • 弘茂ヲ降
  • 泰範森口
  • 參セシム
  • 城ヲ陷ル
  • 義滿ノ感
  • 状ヲ受ク

  • 應永六年十二月二十一日

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  • 二三八

注記 (29)

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