『大日本史料』 8編 22 長享2年5月~同年7月 p.116

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川新右衞門少尉宮道親元か伊勢守か家事を書きたる日記なり、公方の事も少しは交れり、, あり、殿中の二字は除くへし、文明・寛正の間の日記なり、予か家の口傳を聞かさる人, は、此の日記を見ては、不審の事多かるへし、其の口傳は、蜷川氏は予か先祖伊勢守, 上樣とあるは、將軍の御臺所なり、御方御所樣とあるは將軍の御嫡子なり、貴殿とあ, の被官人にて、家僕の如く仕へたり、伊勢守は、代々京都將軍政所職に補せられ、, るは伊勢守貞宗か事なり、兵庫助殿とあるは貞宗の嫡子貞陸なり、御私とあるは、公, 蜷川は代々政所代に補せらる、是れ政所の事を行ふ役なるなり、されは右の日記は、蜷, 〔安齋隨筆〕九蜷川日々記一名親元日記とも云ふ、一本には外題に殿中日々記と, 方に對して、伊勢守を二云ひ、御父・御母とあるは、將軍家内々にて、伊勢守夫婦の事, ○官位相當奥書, 々, 同官、, ツキテ伊勢, 親元日記ニ, 家ノ口傳ア, 足利將軍家, ハ伊勢守夫, 長享二年五月二十五日, 一一六

割注

  • 同官、

頭注

  • ツキテ伊勢
  • 親元日記ニ
  • 家ノ口傳ア
  • 足利將軍家
  • ハ伊勢守夫

図版

  • 長享二年五月二十五日

  • 一一六

注記 (19)

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