『大日本史料』 8編 40 延徳2年12月 p.462

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

の段、わつらいなきうゑは、このむねをきこしめしひらかれ、久我家の無理のわうりや, いたさは、かつて承引あるへからす、たとへは、くかいの大路を我物とさためろんする, てんとぼつす仍かさねてこん上くたんのことし、, 言語道斷之曰温言也、次之寶輪匠僧正一後にやくたく瘴旨、是同ぼうけゐ成、其支證何事, 行聊無相違〓處、久我家之申状ュ、菩提院秀遍僧正數年之間知行之由、公儀被掠中條、, 事坦あつけ、長日のこん行以下いつたん申付處ユ、當吉門跡をさしこし、私こけいやくを, うをとゝめらるゝの御せいはいをあつからはいよ〳〵天下あんせんの御きたうをぬきん, ユあらすや、所詮、佛た施入人こかゑらさる大法□申、當年nいたつ○百十餘年當知行, 哉、縱彼僧正あやまつて申子細是足在共、門てゐたるによつて、供僧職の事坦あつけ、長, 〔荻野三七彦氏舊藏文書〕, 石子細者、山城國久我庄内淨連花院田之事、自初如申上、康暦之司進從此方、于今當知, 醍醐地藏院門跡雜爭謹重而言上, 醍醐地藏匠門跡雜掌重毋状延徳〓十二二, ゑいん徳二ねん十二月日, れ、忝かうふり、, 央圖書蝕所藏, ○早稻田大學中, 久我家ノ甲, 重丗〓, 伊ヲ停メン, コトヲ詰フ, 地藏院門跡, 二依リ申付, 延徳二年十二月三十日, 四六一

割注

  • 央圖書蝕所藏
  • ○早稻田大學中

頭注

  • 久我家ノ甲
  • 重丗〓
  • 伊ヲ停メン
  • コトヲ詰フ
  • 地藏院門跡
  • 二依リ申付

  • 延徳二年十二月三十日

ノンブル

  • 四六一

注記 (25)

  • 786,341,29,1144の段、わつらいなきうゑは、このむねをきこしめしひらかれ、久我家の無理のわうりや
  • 913,347,29,1138いたさは、かつて承引あるへからす、たとへは、くかいの大路を我物とさためろんする
  • 661,343,29,625てんとぼつす仍かさねてこん上くたんのことし、
  • 219,340,30,1150言語道斷之曰温言也、次之寶輪匠僧正一後にやくたく瘴旨、是同ぼうけゐ成、其支證何事
  • 282,340,30,1144行聊無相違〓處、久我家之申状ュ、菩提院秀遍僧正數年之間知行之由、公儀被掠中條、
  • 975,338,29,1148事坦あつけ、長日のこん行以下いつたん申付處ユ、當吉門跡をさしこし、私こけいやくを
  • 724,341,28,1147うをとゝめらるゝの御せいはいをあつからはいよ〳〵天下あんせんの御きたうをぬきん
  • 849,347,29,1141ユあらすや、所詮、佛た施入人こかゑらさる大法□申、當年nいたつ○百十餘年當知行
  • 156,340,29,1148哉、縱彼僧正あやまつて申子細是足在共、門てゐたるによつて、供僧職の事坦あつけ、長
  • 529,333,39,423〔荻野三七彦氏舊藏文書〕
  • 345,338,30,1146石子細者、山城國久我庄内淨連花院田之事、自初如申上、康暦之司進從此方、于今當知
  • 408,398,29,410醍醐地藏院門跡雜爭謹重而言上
  • 472,366,29,493醍醐地藏匠門跡雜掌重毋状延徳〓十二二
  • 598,457,27,293ゑいん徳二ねん十二月日
  • 754,517,20,355れ、忝かうふり、
  • 528,781,20,129央圖書蝕所藏
  • 549,783,20,149○早稻田大學中
  • 794,143,20,106久我家ノ甲
  • 458,142,19,62重丗〓
  • 774,143,18,102伊ヲ停メン
  • 751,146,19,100コトヲ詰フ
  • 480,144,19,104地藏院門跡
  • 1009,148,20,101二依リ申付
  • 1051,432,21,217延徳二年十二月三十日
  • 1052,1297,20,58四六一

類似アイテム