『大日本史料』 9編 1 永正5年6月-永正6年9月 p.204

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從四位下大内義興ヲ從四位上二敍ス、, 又同十三日、大内かきうの事、むろまちとのへ中ぞいる、, 丸と云、其幼名を以なり、其才の字ぬ千の字の書違ななへし、, 政村の子息千松丸家督して、左京大夫晴政と號す、是將軍義晴公より、晴の, なり、母儀の惡心より、政村の内室、家臣の浦上等、母儀に荷擔して、竟に政村, を追出し、政村の子息千松丸を立て家督として、浦上掃部助村宗、國家の權, を執、政村ぬ室の津にて蟄居し、入道して定印と號せしか、終に浦上か謀に, て生害す、, 千松丸を、世本に才松丸と記せしは誤なり、政則の父性存幼年の時、千松, 〔歴名土代〕從四位上多々良義興同五九十四、, 一字を給るなり、, 九月十一日、大内しゆ上の事、てんそう万いりて申、ちよつきよ、, 〔實隆公記, 〔京都御所東山御文庫記録〕, 永正五同十七日, 〓月五日、〓子、霽、〓中伊勢守送使者、大内一級事相談之, 〔京都御所東山御文庫記録〕〓〓汁〓番々〓〓計〓〓ノ7, 此れいに、御たちと、万疋としん上申、十月の一日におさまる、, 九月五日、庚子、齊, 年中, 兩度, 御湯とのゝ上の日記抜書, 〕第二十三番雜々五十三號ノ四, 、三十, 略, 御湯, ノ敍位, 一年兩度, 才松丸二, ツイテノ, 及ビ萬疋, 義興太刀, 疑, ヲ獻フ, 水正五年九月十一日, 二〇四

割注

  • 年中
  • 兩度
  • 御湯とのゝ上の日記抜書
  • 〕第二十三番雜々五十三號ノ四
  • 、三十
  • 御湯

頭注

  • ノ敍位
  • 一年兩度
  • 才松丸二
  • ツイテノ
  • 及ビ萬疋
  • 義興太刀
  • ヲ獻フ

  • 水正五年九月十一日

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  • 二〇四

注記 (36)

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