『大日本史料』 9編 3 永正7年是歳-永正9年3月 p.212

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うかくこなきしさ〓ともにて、心して申とて候、このよし御心え候へく候, 太政大臣徳大寺實淳罷ム、尋デ、薙髮ス、, ほとありけに候うへは、とつくおほとられ候ても、申され候やらん、まつう, ち〳〵ありかたくも、おほしめし候は〓とも、ちろころは一ろうしゆつと, 二月廿一日、壬寅、天晴、及晩風烈, とく大寺より、らくはつの御いとたの事申され候、ふと御心え候のよし、お, 日御讀了云々、珍重, 八月廿日、戊戌、雨、抑前相國落髮事、被申暇云々、, 國之處、一昨日一官辭申了、未拜賀、雖無念無力之由、被示送之、, 日出家於仁和寺、法名忍繼、, 二月十九日辭、八月十九, 載稱號之由返答了、, 〔徳大寺家譜〕實淳永正八年二月十九日辭太政大臣、同年八月廿一日、於, 宣胤卿記拔書〕八月廿日、左大相公状到來、徳大寺前太政大臣一人也、不可, 今日遣書状於太相, 〔實隆公記, 〔實隆公記〕, 前太政大臣從一位藤實淳, 〔實隆公記〕, 〔公卿補任〕, 永正八年二月十九日, 〔公卿補任〕四十前太政大臣從一位藤實淳、, ○永正八年九月, 十八日裏文書, 六十, 七、, 四十, 四十, 四十, 略, ○中, 四, 五, 仁和寺ニ, テ出家ス, 法名忍繼, 女房奉書, 二一二, 廿一

割注

  • ○永正八年九月
  • 十八日裏文書
  • 六十
  • 七、
  • 四十
  • ○中

頭注

  • 仁和寺ニ
  • テ出家ス
  • 法名忍繼
  • 女房奉書

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  • 二一二
  • 廿一

注記 (39)

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