『大日本史料』 9編 4 永正9年4月-永正10年12月 p.730

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も據所有之、, 是を以て相考に、永正九年ゟ同十五年迄は、七ケ年の合戰也、就中江戸の, 一立川原合戰も、三浦合戰も、山内殿扇谷殿兩上杉の合戰也、資康公の御討, 死は、三浦合戰之節ニ無紛候、, 一三浦大明寺へ御葬送、是は三浦黨御縁者故、尊骸を江戸迄は不送して、猶, 平河山法恩寺柳嶋出村町にあり、日蓮宗に, 其所葬たるもの也、, 死可被成事勿論也、又軍中なれは、尊骸を江戸へ不送して、三浦にて葬送, 城主發向につき、資康公陣中ニ而在ことは左も有へし、朝興公の後詰被, 成候事、永正十年、資康公は三浦道寸之聟被成共申傳けれは、此合戰に計, 安す、日法上人の作なり、相傳ふ、當寺は太田大和守資高, して、花洛本國寺の觸頭、江戸三箇寺の一員たり、本堂には宗祖上人の像を, 〔江戸名所圖會〕, 九月、大田道灌之子資康死、呼法恩齊道源、, 〔參考〕, 〔本圀寺年譜〕七十年癸酉、〓, 永正十年九月二十九日, 〔本圀寺年譜〕七十年癸酉、〓中九月、大田道灌之子資康死、呼法恩齊道源、, 御死, 道灌の孫なり、法華, 靈場記に、資高は江, 十八, 道源者、爲父道灌、武城本所建平河, 山法恩寺、乃屬當山、今觸頭一寺是、, ○中, 搖光之部, 略, 之部, 武藏法恩, 寺, 七三〇

割注

  • 道灌の孫なり、法華
  • 靈場記に、資高は江
  • 十八
  • 道源者、爲父道灌、武城本所建平河
  • 山法恩寺、乃屬當山、今觸頭一寺是、
  • ○中
  • 搖光之部
  • 之部

頭注

  • 武藏法恩

ノンブル

  • 七三〇

注記 (31)

  • 1321,736,59,347も據所有之、
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