『大日本史料』 12編 5 慶長十二年八月~同十三年十二月 p.547

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し、側に三十番神の小堂を建と云々、南向茶話に、加藤敬豐の雨のやとりを, 所よりなすさゝらる、, 引て言、當寺初めは本住院と云、太田大和守資高、亡父資康法名法恩齋日思, の菩提のため、武州三田村の内を此寺に寄附し、その時改て法恩寺と號す、, いる、, 資康入道法恩齋十三囘忌の爲、日住上人を開祖として、大永四甲申年造立, 五月十六日、雨ふる、せんへんかくあり、女ゐんの御所より、まき御てうしま, 也、開山日住聖人、關東古戰録に云、平河山法恩寺は、康資父大和守資高、先考, 此寺元平河に有、平河より谷中に移り、元祿のはしめ當所へうつると云々、, 五月十三日、はるゝ、せんへんかくあり、女ゐんの御, 十三日, 尚、慶長元年丙辰、當寺を再興して中興となる、, の開基として、大覺禪師を開山と稱し、古山和尚を第二世とす、天叟慶存和, 〔御湯殿上日記〕, 平河山法恩寺日蓮宗本國寺末、柳島横川ばた, 〔新編江戸志〕, 〓・千反樂アリ、十六日マタ同ジ、, 慶長十三年五月十三日, 湯殿上日記〕〓十五月十三日、はるゝ、せんへんかくあり、女ゐんの御, 柳島押上, 慶存和尚は、松平因幡守康元, 州より召れ當寺を賜ふ、舊は臨濟宗なりしを、, 此時より今の如く、洞家に改られしとなり、, の子なり、天正御入國の頃、三, 六十, 十六, 亥, 己, 四, 法恩寺, 慶長十三年五月十三日, 五四七

割注

  • 柳島押上
  • 慶存和尚は、松平因幡守康元
  • 州より召れ當寺を賜ふ、舊は臨濟宗なりしを、
  • 此時より今の如く、洞家に改られしとなり、
  • の子なり、天正御入國の頃、三
  • 六十
  • 十六

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  • 法恩寺

  • 慶長十三年五月十三日

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  • 五四七

注記 (32)

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