『大日本史料』 9編 4 永正9年4月-永正10年12月 p.731

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三十番神堂, 元祿の初、今の地へひかれたりといへり、, 下平河に精舍を營建し、一家の靈牌を居ると云々、, 法恩寺と改しは、後世の事とみ, 當寺往古は、今の御城内平河にありて、本住院と號せしとなり、, えたり、遙に天正の後、柳原の邊へ移され、其後谷中清水坂の地へ轉せられ、, の爲、三田村の内を寄附し、日住上人を開祖とす、則大永四年甲申、武州江戸, 十三回忌追悼, 先考六郎左衞門尉資康入道法恩齋, 境内に、平河清水と稱する稻荷の, 小祠あり、是乃ち、平河より清水坂, り、則本住坊は本住院の事を云なるへし、, 住坊寺頷に、三田内惣領分の地を附すとあ, 領役帳に、本, 思ひ定ぬるうへは、再かへすへからすと、誓約ありし上, 本堂の前、左の方にあり、關東古戰録といへるものに云、傍に三, 尊靈なりと云々、, 北條家の所, 十番神の堂をしつらひ、密談所にかまへ置たりと、又北條五代, し記せり、其頃は今の御城内平川の地にありしなり、, 戸谷中法恩寺日悦, ヘうせりたりし證にして、ふたつの, 記、小田原實記等の書に、資高北條家を背き、里見義弘に力をあはせ、永く豐, 嶋郡の地を知行せんとて、兄弟のともから、番神堂の前にて神水を呑、此事, 地名をあはせて、かくは稱するなり、, と號, 日恩, モト本住, 資高亡父, 追善ノ爲, 院ト號ス, メニ建ツ, 資康ノ子, 永正十年九月二十九日, 七三一, (塲)

割注

  • 境内に、平河清水と稱する稻荷の
  • 小祠あり、是乃ち、平河より清水坂
  • り、則本住坊は本住院の事を云なるへし、
  • 住坊寺頷に、三田内惣領分の地を附すとあ
  • 領役帳に、本
  • 思ひ定ぬるうへは、再かへすへからすと、誓約ありし上
  • 本堂の前、左の方にあり、關東古戰録といへるものに云、傍に三
  • 尊靈なりと云々、
  • 北條家の所
  • 十番神の堂をしつらひ、密談所にかまへ置たりと、又北條五代
  • し記せり、其頃は今の御城内平川の地にありしなり、
  • 戸谷中法恩寺日悦
  • ヘうせりたりし證にして、ふたつの
  • 記、小田原實記等の書に、資高北條家を背き、里見義弘に力をあはせ、永く豐
  • 嶋郡の地を知行せんとて、兄弟のともから、番神堂の前にて神水を呑、此事
  • 地名をあはせて、かくは稱するなり、
  • と號
  • 日恩

頭注

  • モト本住
  • 資高亡父
  • 追善ノ爲
  • 院ト號ス
  • メニ建ツ
  • 資康ノ子

  • 永正十年九月二十九日

ノンブル

  • 七三一
  • (塲)

注記 (36)

  • 1604,650,57,336三十番神堂
  • 900,651,62,1205元祿の初、今の地へひかれたりといへり、
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