『大日本史料』 9編 7 永正14年7月-永正15年5月 p.523

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

はす、存命今を限りと覺ゆる〓、我無らん後は、竹若は十五歳に及なは、安房, て、上總の久留里の城代として、今に至るまて居置れらる、義通公數年の御, 敗を加へ玉へ、竹若十五歳に及て、無相違被渡よ、其後は久留里に成共、宮本, 等を近く被召、被仰渡らるは、余數年の持病、今度は緊敷差發、醫藥祈誓も及, なりとも、實堯の心次第住る〓し、兩所の家老共慥に承はれと仰渡されな, 病氣積りべん、今度の惱には留るべしとは思はぬとて、上總介殿を呼迎へ, 頓而登城なされ々る、御枕元へ被招、家臣木曾、堀内御内室の家老本間、菅谷, とし、宮元城に置給ふ、舍弟上總介實堯をは、父義成公御時より、十五歳にし, て、軍奉行を被成々る、御子竹若丸には、中里源左衞門、本間八右衞門を守職, 上總兩國の大將に定めよ、夫迄は實堯此方へ引越て、城中を守り、國民に成, め給へとも、大將の御身なれは、社家公と諸ともに、所々の合戰に出陣あり, から、生命三十八歳にて、永正十七年庚辰二月朔日に薨しさせ給ひべり、, 社家樣と共に、下總、武藏、常陸方々の軍に向、此事義明公家書にあり、御居城, 〔里見九代記〕一上野介義通公の事, 總里見軍記, 異事ナシ, 房, ○, 實堯ヲ久, 留里城代, 奉行タリ, ト爲ス, ニ從ヒ軍, 遺言, 足利義明, 五二三

割注

  • 總里見軍記
  • 異事ナシ

頭注

  • 實堯ヲ久
  • 留里城代
  • 奉行タリ
  • ト爲ス
  • ニ從ヒ軍
  • 遺言
  • 足利義明

ノンブル

  • 五二三

注記 (26)

  • 961,704,77,2199はす、存命今を限りと覺ゆる〓、我無らん後は、竹若は十五歳に及なは、安房
  • 1420,692,76,2205て、上總の久留里の城代として、今に至るまて居置れらる、義通公數年の御
  • 734,698,76,2199敗を加へ玉へ、竹若十五歳に及て、無相違被渡よ、其後は久留里に成共、宮本
  • 1075,693,79,2197等を近く被召、被仰渡らるは、余數年の持病、今度は緊敷差發、醫藥祈誓も及
  • 621,703,77,2195なりとも、實堯の心次第住る〓し、兩所の家老共慥に承はれと仰渡されな
  • 1304,690,78,2206病氣積りべん、今度の惱には留るべしとは思はぬとて、上總介殿を呼迎へ
  • 1189,693,81,2203頓而登城なされ々る、御枕元へ被招、家臣木曾、堀内御内室の家老本間、菅谷
  • 1537,697,71,2194とし、宮元城に置給ふ、舍弟上總介實堯をは、父義成公御時より、十五歳にし
  • 1649,691,76,2197て、軍奉行を被成々る、御子竹若丸には、中里源左衞門、本間八右衞門を守職
  • 847,698,76,2198上總兩國の大將に定めよ、夫迄は實堯此方へ引越て、城中を守り、國民に成
  • 1763,691,70,2193め給へとも、大將の御身なれは、社家公と諸ともに、所々の合戰に出陣あり
  • 504,700,82,2162から、生命三十八歳にて、永正十七年庚辰二月朔日に薨しさせ給ひべり、
  • 154,701,80,2195社家樣と共に、下總、武藏、常陸方々の軍に向、此事義明公家書にあり、御居城
  • 256,657,93,1167〔里見九代記〕一上野介義通公の事
  • 417,707,44,327總里見軍記
  • 373,710,41,256異事ナシ
  • 513,2858,44,43
  • 559,2848,39,50
  • 1468,327,42,169實堯ヲ久
  • 1422,330,41,167留里城代
  • 1714,323,39,166奉行タリ
  • 1380,332,36,116ト爲ス
  • 1759,335,36,158ニ從ヒ軍
  • 1210,331,41,83遺言
  • 1801,327,41,164足利義明
  • 75,2481,44,120五二三

類似アイテム