『大日本史料』 10編 22 天正2年4月~6月 p.253

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りけり、, 總巣田家の押へには、萬喜・正木也、北條氏の押へには、木曾・鳥山を義堯公より, は萬喜少弼の息女也、家老は正木・山田・安西・山本・多賀也、稻村合戰の時、下, 居住す、社家樣も此入道をうしろたてになされて、他國と戰ひ給ふ、正木・萬喜・, 出さる、合戰の以後は、龍崎・菅野谷・安西抔、海邊に城を持、北條の押へとして, 太夫、池の和田は多賀藏人、萬喜は少弼居住あり、義堯公を里見入道と號す、御前, あり、義堯公討勝給ふ、即久留里へ歸らる、此時、大瀧は正木大膳、勝浦は同左近, 山田抔か名を天下に揚て隱れなかりしも此時也、天文七年十月、源義明公と倶に國, 十二年か間、上總路に事故なし、剩下總も大半は里見方にそくしけり、是偏に正木, 義豐公は親父の敵なる故、天文三年四月六日の朝より夜に入まて、瀧田稻村の合戰, 刑部大輔義堯公の事, ・萬喜か勳功なり、然れは此度と二度治るなれは、最早無氣遣とて、諸人悦ひあへ, 此合戰一千三百人の死人也、手負未死切らさる者夥し、從是以後、永祿七年に至迄, 〔里見九代記〕, 〔里見九代記〕〇續群書類從卷六百十所收, ○續群書類從卷六百十所收, 天正二年六月一日, 二五一三

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  • ○續群書類從卷六百十所收

  • 天正二年六月一日

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  • 二五一三

注記 (18)

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