『大日本史料』 10編 22 天正2年4月~6月 p.251

Loading…

要素

ノンブル

OCR テキスト

三歳、三浦殿三代にて此の時滅亡したりける、上總も少々北條家に屬しけり、然る, りて、咽胸を被〓貫、御年四十を最後として、朝の雲に入り給ふ、御父社家公にも、, るは、義弘公は我娘の養育せし君なれは、實の孫にはあらね共、外孫に隱れなし、, への知行を半分參らすへし、半分をは小田原へとるへしと云り、萬喜、心に思ひけ, 喜か方へ言送りけるは、足下にも味方へ與力せられは、足下と眞里谷へ三浦の持添, 文廿一年壬子の秋、里見家を亡さんとて、小田原と謀を示し合ける、小田原より萬, に上總の椎津の城主眞里谷信政、小田原となりて十年餘、一味同心したりけり、天, 祐家殿防戰ふ、里見よりも入道殿・義弘公兩大將にて發向有、力を合せて戰給ふ、, 三浦殿御運是迄にや有けん、味方負軍に成て、祐家殿、北條淺右衞門尉か鑓先に掛, 州の木曾と鳥山とを置れたり、稻村合戰以後、龍崎・菅谷・安田等を濱手の城々に, の大將氏康・氏政、大軍を催、下總の國鴻の臺に軍勢を押出す、三浦社家公・御子, 深手數多負ひ給ふ、浮世になからへ、せんもなしとて御自害なされけり、御年七十, 置たり、かくて五年か間、境内靜謐に治りけるか、天文七年戊戌十月、相州北條家, 總の國司巣田家黨の押へには、正木・萬喜を定めらる、相州北條家の押へには、房, 天正二年六月一日, 二五

  • 天正二年六月一日

ノンブル

  • 二五

注記 (16)

  • 913,680,72,2019三歳、三浦殿三代にて此の時滅亡したりける、上總も少々北條家に屬しけり、然る
  • 1132,686,72,2038りて、咽胸を被〓貫、御年四十を最後として、朝の雲に入り給ふ、御父社家公にも、
  • 363,677,68,1985るは、義弘公は我娘の養育せし君なれは、實の孫にはあらね共、外孫に隱れなし、
  • 472,688,70,2004への知行を半分參らすへし、半分をは小田原へとるへしと云り、萬喜、心に思ひけ
  • 581,674,70,2023喜か方へ言送りけるは、足下にも味方へ與力せられは、足下と眞里谷へ三浦の持添
  • 691,676,72,2025文廿一年壬子の秋、里見家を亡さんとて、小田原と謀を示し合ける、小田原より萬
  • 802,679,71,2023に上總の椎津の城主眞里谷信政、小田原となりて十年餘、一味同心したりけり、天
  • 1357,678,71,1999祐家殿防戰ふ、里見よりも入道殿・義弘公兩大將にて發向有、力を合せて戰給ふ、
  • 1246,684,70,2025三浦殿御運是迄にや有けん、味方負軍に成て、祐家殿、北條淺右衞門尉か鑓先に掛
  • 1689,686,68,2021州の木曾と鳥山とを置れたり、稻村合戰以後、龍崎・菅谷・安田等を濱手の城々に
  • 1466,687,73,2021の大將氏康・氏政、大軍を催、下總の國鴻の臺に軍勢を押出す、三浦社家公・御子
  • 1024,675,71,2028深手數多負ひ給ふ、浮世になからへ、せんもなしとて御自害なされけり、御年七十
  • 1576,684,70,2026置たり、かくて五年か間、境内靜謐に治りけるか、天文七年戊戌十月、相州北條家
  • 1800,691,69,2024總の國司巣田家黨の押へには、正木・萬喜を定めらる、相州北條家の押へには、房
  • 267,743,44,347天正二年六月一日
  • 253,2405,45,99二五

類似アイテム