『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.57

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ころにかありけん、將軍家御上洛ありて、二條の御城へ入せらるゝ時、ひと, かは、彼家にて所領給り、澤橋兵太夫何かしと名乘けるか、たゝ明暮母の事, 子とおもふへしとて、所生の如くせられしとなり、其子の父は、いかなる者, なして給り候へといひすてゝさりぬ、夫人其子を常に膝下に置て撫育し、, 家に依ておはせしか、秀家備前の國守たりしによりて、加賀國人夫人を稱, りの僧御駕輿ちかく訴状を捧けたるを、御供の中より抑へけれとも、きか, 公を忘れおはしまさすは、此子を御側の人へ仰付られ、御そたてさせ、人に, り、形をかへて僧となり、いつかたにありとも行衞しれさりけるに、元和の, 此子か母は、身をすてゝ、我子八郎か先途を見屆し者なれは、此子をは、わか, さりける程に、討てすてんとしけるを、御輿の内より御覽ありて、沙門を聊, 仕へき程になりしかは、前田家へ召仕はるゝやうに、ふかく付託せられし, して備前君とす、今に其墓加賀にあり、夫人在世の時、澤橋氏か子成長して, をのみ思ひて、〓をおとしけり、いく程なく、遁世の願あるよしにて、國をさ, にかありけんしらす、氏は澤橋にてありける、夫人後には加賀に到り、前田, 八郎御曹子の御事、餘りいたはしく候へは、御供申候て、島へ參り候、此御奉, 備前君, ヲ將軍ニ, 秀家夫人, 丈島ニ赴, 兵太夫母, 直訴ス, 兵太夫八, カンコト, ヲ慕ヒテ, 僧トナル, 氏ニ托ス, 子ヲ前田, 慶長十一年四月是月, 五七

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  • 備前君
  • ヲ將軍ニ
  • 秀家夫人
  • 丈島ニ赴
  • 兵太夫母
  • 直訴ス
  • 兵太夫八
  • カンコト
  • ヲ慕ヒテ
  • 僧トナル
  • 氏ニ托ス
  • 子ヲ前田

  • 慶長十一年四月是月

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  • 五七

注記 (29)

  • 526,636,67,2205ころにかありけん、將軍家御上洛ありて、二條の御城へ入せらるゝ時、ひと
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