『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.855

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に濱松え參候處、權現樣御前え〓大名衆より先に、竹右衞門を被召出、今日, 捨候儀、具に被仰上候、權現樣被聞召、竹右衞門いつてつものにて候間、左樣, 之樣子、事細に御尋被遊候、其時豐後守殿〓座、竹右衞門高名之首尾、再深入, 仕候とく、左近しかり候へは、腹立仕、討捕候首を名に見せ、其まゝ川えなけ, 竹右衞門罷出、首尾能候と被仰候事, 一永祿十一年十二月に、今川氏眞、武田信玄に駿府を被取、遠州懸川城へ入, 家康乃内にて、名は何といふ者そ、某は日根野彌吉と云て、家康も能知給, 故不罷在候、豐後守殿、竹右衞門陣所は御越、種々御異見被仰聞候付、御一列, か、二の丸と本丸との間にて、太郎作、彌吉に懸向ふ、彌吉申けるは、其方は, 勢攻入時、信長の内日根野織部か甥日根野彌吉と言〓籠城して有ける, に可有之と上意にて、不淺御感被遊候、其後左近殿に對し、豐後守殿被仰候, 相保之間、權現樣、翌年正月十七日御馬を被出、是を攻給ふ、廿二日、味方の, 者、竹右衞門を不被召連候者、御前樣子惡可有之候、我等色々なため申候付, 松爲召候ニ付、竹右衞門參上仕候へと、左近殿色々被仰候へ共、以前之腹立, 〓譜牒餘録, 永祿十二年正月二十三日, 紀伊殿藩士下故水野左近物語男平右衞門記ウ, 岡田竹右衞門尉元次譜異事ナシ、, ○朝野舊聞哀藁九十一所載寛永, 一二, 家康元次, ノ勇ヲ感, ズ, 八五五

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  • 岡田竹右衞門尉元次譜異事ナシ、
  • ○朝野舊聞哀藁九十一所載寛永
  • 一二

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  • 家康元次
  • ノ勇ヲ感

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  • 八五五

注記 (24)

  • 1728,696,61,2191に濱松え參候處、權現樣御前え〓大名衆より先に、竹右衞門を被召出、今日
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