『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.202

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候處、雲州エも尼子助四郎勝久を大將として、尼子先方之宗徒之もの共, し、三千及の人數を集、則打出候而、先方之山名居城エ寄懸申事夥敷儀共, に御當家之御弓矢も難儀之樣に相聞へ候節、豐後より大内太郎左衞門, は筑前之立花要害え押寄、彼城を責被申候處、大友方猛勢にて打出、すて, 節は田舍諸所在々牢人共を招寄、其上山名先方之百姓等をあひもよふ, のやうに仕なし候て、寔之商人百姓之躰と而、年月を送有しか、豐後國主, 數万騎に及、亂入之通風聞有之、彼是もて幸之時節とをこりて、彼藤井其, 輝弘、八千及之人數を引卒して、防〓は押わたり、山口エ亂入之由相聞へ, 候、彼山名居城と申は、則神邊之要害なり、彼神邊之要害を山名方先年明, 退申に付そ、杉原播磨守方より請取候而、番衆をさしこめをき候而、盛重, 大友方と内通しそ、元就公豐後と御取相ニ付而、長府に御在陣有之、先陣, 一山名方國退之刻、彼家老之藤井之何かしと云もの、山名方え逆心之物振, 楯籠有之由候事、, 〔元就公記〕十九元龜之初備後國蜂起之事, ○上略、山名理興、神邊城ヲ退散スルコトニ, カヽル、天文十八年九月四日ノ條ニ收ム、, 友宗麟ニ, 大内輝弘, 勝久ノ亂, 内通スト, 藤井某大, ノ説, 及ビ尼子, 元山名氏, 神邊城ハ, ノ居城, ニ乘ズ, 永祿十二年八月二十五日, 二〇二

割注

  • ○上略、山名理興、神邊城ヲ退散スルコトニ
  • カヽル、天文十八年九月四日ノ條ニ收ム、

頭注

  • 友宗麟ニ
  • 大内輝弘
  • 勝久ノ亂
  • 内通スト
  • 藤井某大
  • ノ説
  • 及ビ尼子
  • 元山名氏
  • 神邊城ハ
  • ノ居城
  • ニ乘ズ

  • 永祿十二年八月二十五日

ノンブル

  • 二〇二

注記 (29)

  • 771,741,59,2126候處、雲州エも尼子助四郎勝久を大將として、尼子先方之宗徒之もの共
  • 429,749,59,2117し、三千及の人數を集、則打出候而、先方之山名居城エ寄懸申事夥敷儀共
  • 1013,746,59,2122に御當家之御弓矢も難儀之樣に相聞へ候節、豐後より大内太郎左衞門
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