『大日本史料』 11編 20 天正13年9月 p.364

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なし、, 勢も有ましく候、然は此城におゐて無躰に被責殺候間、先々會津へ引退、自然時節を待, 御手に入、政宗公鹽之松の城に御馬を被入、名城なるによつて、城外向城等迄御巡見、, 其上白石か勢思さる所ゟ働出悉討捕れ、其威ひを以城際迄攻詰られ候上者、佐竹ゟの加, れ候へ、於承引者、會津松本圖書助跡明地に候間、彼跡目に仕付、會津宿老並之義廣へ, 以攻落給ひ、岩角の城計相殘し候、彼城落城に候はゝ、此城は籠中の鳥のことくに覺候、, さすか鬼神のやうにいはれし大内定綱も心弱り、此儀に同し、其夜中に定綱並子共重綱、, 宗實か與力乙被相付、佐竹・白川・磐瀬方の押へを被仰付、御當家の大身猶以宗實武勇, 戰功之賞として大内分領無殘所、三十三口宗實に被下、其上大内か幕下の諸士五十人餘、, 吹擧可申候之旨、會津足輕大將平田尾張守・中目式部少をも引添、荐に相すゝめ候之付、, 於彼地御休息、今般之御合戰忠不忠ヲ糺し給ふの處、白石宗實は其隨一なるよし被仰出、, 會津加勢、方々駈武者等迄、二本松へ引退き、夫より山傳ひ會津へ退散、依之鹽之松中, を抽而、郎等共も高名のみ嗜、夫より度々の御合戰に、白石か郎從敵に後を見せたる事, 〔山口道齋物語〕, ○下略、畠山義繼、伊達輝宗ヲ捕フル, コトニカヽル、十月八日ノ條ニ收ム、, 仙道會津元和, 八年老人覺書, 政宗宗實ニ, 大内領ヲ與, フ, 天正十三年九月二十五日, 三六四

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  • ○下略、畠山義繼、伊達輝宗ヲ捕フル
  • コトニカヽル、十月八日ノ條ニ收ム、
  • 仙道會津元和
  • 八年老人覺書

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  • 政宗宗實ニ
  • 大内領ヲ與

  • 天正十三年九月二十五日

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  • 三六四

注記 (23)

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  • 1589,678,61,2254勢も有ましく候、然は此城におゐて無躰に被責殺候間、先々會津へ引退、自然時節を待
  • 964,674,58,2223御手に入、政宗公鹽之松の城に御馬を被入、名城なるによつて、城外向城等迄御巡見、
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