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來り、命戍つたへていはく、かつて上洛し拜〓を遂へきのところ、その〓れく、しののみな, らす、會津を私にうちとりしは、公を輕んするに似たり、また親戚相爭ぬことは、政宗かい, 胤白川七郎義親石川大和守昭光大崎左衞門督義隆等と矛楯にをよひ、義重常陸下野兩, 國乃兵伐率ゐ、義廣とゝもに陸奥國安積郡の郡山に出張す、こ乃ところは政宗所領の地, らる、政宗これに對ふな〓あきらかにして、言すゐに屈せす、太閤怒解て、許容あり、親戚戰, 伐乃事しかるへからすとて、和親をむすひしかは、八月各兵をにさむ、又〓上義光とは戰, とも、しはらく底倉の山中にをらしめ、淺野長政及ひ施藥院全宗宮部善祥坊等その地に, 爭の事は、政宗を〓むよりおこ〓るならむ、會津を掠む御は、不法の所爲なりとて、會津岩, 仙道七郡を得たり、十八年、太閤北條氏直を征伐あしのとき、五月小田原に參陣すといへ, たばところなるへし、これらのこと、答へによりて、はつらふむ手のるへきのよし、糺問を, 田伊具亙理名取宮城黒川等乃諸郡、志田郡のうち松山、桃生郡のうち深谷、出羽國置陽郡, 葦名義廣と和親破るゝにより、たゝちに軍を會津乃猪苗代にうつし、六月五日義廣と摺, 津十餘郡皆その旗下に屬す、十月二十六日陸奧國岩瀬郡に發向し、須賀川の城を拔、また, 敗北し、すゐに黒川城をすてゝ常陸國にのかふ、これによりて政宗黒川にうつり住し、會, 不しめさる、今より乃ち各親みむつふたきのむ〓、御書をたまふ、十七年安積郡に謀叛の, 瀬安積三郡をおさめられ、陸奥國安達郡乃うち二本松塩松をよひ本領信夫伊達刈田柴, 大敵に對し、晝夜陣をつら〓て戰ふこと久し、時に岩城常隆石川昭光等相議し〓、親族攻, シのあるかゆへに、これ戍伐むかため彼地にい〓り、日あらすし〓誅戮す、これよりさき, 永祿十年出羽國米澤に生る、天正十二年十月封を襲、十三年閏八月從五位下美作守に敍, ひにをよはすといへとも、不快〓るのところ、和議なおにより、十月二十六日、東照宮太, 閤の命をもつて和順の御はからひもあるへき戍、すみやかに事平くのよし、よろこひお, 上原にをいて合戰す、ときに政宗か指揮むとたひ團扇をあをて數千乃敵兵を討取、義廣, 與へらる、この年政宗、佐竹常陸介義重葦名平四郎義廣岩城左京大夫常隆相馬長門守義, やかにはせかへ里、義繼を討て、其屍を小濱に暴す、十四年左京大夫に改む、十六年四月轉, 〓るゆへに、四方の境に兵を分、數所乃城をはもらしむるにより其勢微なりとい〓とも, 臣太閤書を贈りて、國産乃鷹を所望ありしかは、これをるいらせしにより、鈿國行の刀を, 任し、十月八日、政宗放鷹せな乃とき、父輝宗二本松義繼あために難にあふときゝて、す, 附録, 五七九
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- 附録
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- 五七九
注記 (29)
- 694,738,51,2118來り、命戍つたへていはく、かつて上洛し拜〓を遂へきのところ、その〓れく、しののみな
- 629,738,51,2111らす、會津を私にうちとりしは、公を輕んするに似たり、また親戚相爭ぬことは、政宗かい
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- 1568,729,51,2132國乃兵伐率ゐ、義廣とゝもに陸奥國安積郡の郡山に出張す、こ乃ところは政宗所領の地
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- 824,734,52,2114仙道七郡を得たり、十八年、太閤北條氏直を征伐あしのとき、五月小田原に參陣すといへ
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