『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.470

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へとも、乘可被申船もなくて、富海迄落られ候處に、杉二郎左衞門野上ゟ打, 暇乞仕、傍らの小家え走込腹切候、輝弘は浦傳ひに落行、船を心懸申され候, え〓而掛る、死を極たる事なれは、追手衆を〓立追崩候、此方之衆坂え迯上, 入道一佐、甲斐左馬助數度取而返し戰けるか、兩人共數ケ所之手負、輝弘こ, 右衞門側なる山え上り、迚も迯れ給ふ御身こてもなし、御切腹候へ、ケ樣こ, を上りに迯るを追懸進るゝ時、境與三右衞門、山縣宗右衞門、井上平右衞門、, 而出、椿峠ニ待請居申候、香川兵部、山縣四郎右衞門、平佐出雲は藝州え上候, り候、三河内某、各きたなしと蹈止て討死する、是は鴻峯之在番衆也、輝弘坂, も各一處こ加る、輝弘少し進兼たる色を見而〓て懸れは、輝弘も先刻ゟ戰, 濱表へ打出申候、輝弘四方こ敵を受、難遁被存、一丸こ成而取て返し、追手衆, 勞れ、其上小勢なれは、左之茶磨山ニ取上り、切處を前置而備らるゝ、境與三, 處こ、此等之樣子承、行止り、杉一所ニ來て待請申候、追懸候衆も浮野坂被越、, 小高キ所こ打上り、元春一手之面々と名乘て待懸る、熊谷家中品川内藏允, 申候ものは、吉川元春家中境與三右衞門と申者こて候と高聲と申せは、輝, 門、兒玉四郎右衞門、此外歴々追懸候、豐後勢だ返し合さ相戰ふ、中にも松本, 輝弘ノ覺, 戰, 輝弘ノ奮, 悟, 永祿十二年十月二十日, 四七〇

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  • 輝弘ノ覺
  • 輝弘ノ奮

  • 永祿十二年十月二十日

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  • 四七〇

注記 (21)

  • 1473,655,60,2181へとも、乘可被申船もなくて、富海迄落られ候處に、杉二郎左衞門野上ゟ打
  • 1587,639,60,2198暇乞仕、傍らの小家え走込腹切候、輝弘は浦傳ひに落行、船を心懸申され候
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