『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.205

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入候、, え押寄、大膳殿を落し候由、, ける、依之大小の諸士、日夜の出仕、人馬門前に市をなす、爲信公思召けるは、, ふ人、津輕郡中の惣奉行と定南部ゟ遣し、石河村乃辰巳大佛ケ崎といふ所, 永祿の比迄は、津輕三郡共に南部支配にてありけれは、南部大膳高信とい, 等養父町居飛鳥居宅及大破候、少々修覆致度と被仰入けれは、其段御勝手, 催候段聞へて、八戸殿當麻より歸り候、, と思召、大膳を可討御計策を廻らし給ひける、依之大膳へ被仰入けるは、我, 大膳を討取て、津輕を一圓に入ならは、南部、秋田、仙臺の方迄も、御働可被成, 餘騎ニ而押寄候處、九戸甲斐殿は、八戸ノ留主を幸に、其城を乘取らんと相, に城郭を構居住して、惣郡中を司とり、諸士の棟梁と成、諸事法令を取行ひ, 同日、和徳讃岐殿も落し候而、諸人驚入候、尤大浦殿は堀越町居飛鳥ノ城へ, 八月二日、南部八戸殿此度石川大膳を被打候を無念ニ被存、宿川原迄三千, 〔津陽開記〕南部大膳御誅〓之袁, 〔當所年代記, 〕一五月五日、昨夜大浦、殿五百騎程こて、石川大淵ケ〓, 山日記, 一名平, 八戸政義, ヲ支配ス, 爲信ヲ撃, 爲信ノ陰, タントシ, 高信津輕, 城ニ入ル, テ成ラズ, 爲信堀越, 諜, 元龜二年五月五日, 二〇五

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  • 山日記
  • 一名平

頭注

  • 八戸政義
  • ヲ支配ス
  • 爲信ヲ撃
  • 爲信ノ陰
  • タントシ
  • 高信津輕
  • 城ニ入ル
  • テ成ラズ
  • 爲信堀越

  • 元龜二年五月五日

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  • 二〇五

注記 (30)

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