『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.92

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木越後守重直と地を爭ひ、矛楯に及ふのとき、種久とともに東照宮の御〓下に屬し、援, 助を請ひたてまつりしかは、永祿四年閏三月二十一日、九郎左衞門某及ひ種久と連名の, 御誓書を下され、後足助のうちにをいて采地四百五十石をたまひ、御弓頭を勤む、元龜, いて水野信元か兵と合戰の時、, 三年十二月二十二日、三方原の役に討死す、年五十一、法名善慶、, ふること六たひ、其身創をかうふるといへとも、なを退かす、七たひにをよひて、敵つ, 種友三河國足助に居住す、一族原田小右衞門種久・簗瀬九郎左衞門某等と足助の城主鈴, 女子, 〔寛政重修諸家譜〕, 忠眞東照宮に仕へたてまつり、しは〳〵軍功あり、永祿四年二月七日、尾張國石瀬にを, 本多, 種重, 元龜三年十二月二十二日, 忠眞敵と鎗を接, 忠眞, 忠豐, 忠高, 原田新六郎種弘か祖、甚藏、實は内藤甚藏正, ○松平元康、水野信元ノ兵ト、尾張横根ニ戰ヒ、明, 七郎某か妻, 家臣阿佐美金, 曰、石瀬ニ戰フコト、永祿四年二月六日ノ條ニ見ユ、, 直か長男、種友か養子となり、別に家を興す、, 六百八, 平八郎、吉左衞, は某氏、, 十一, 門、母は某氏、, 肥後守、母, 平八郎、母, 弓頭ヲ勤ム, 本多忠眞, 家系, 法名, 九二

割注

  • 原田新六郎種弘か祖、甚藏、實は内藤甚藏正
  • ○松平元康、水野信元ノ兵ト、尾張横根ニ戰ヒ、明
  • 七郎某か妻
  • 家臣阿佐美金
  • 曰、石瀬ニ戰フコト、永祿四年二月六日ノ條ニ見ユ、
  • 直か長男、種友か養子となり、別に家を興す、
  • 六百八
  • 平八郎、吉左衞
  • は某氏、
  • 十一
  • 門、母は某氏、
  • 肥後守、母
  • 平八郎、母

頭注

  • 弓頭ヲ勤ム
  • 本多忠眞
  • 家系
  • 法名

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  • 九二

注記 (35)

  • 1556,678,70,2239木越後守重直と地を爭ひ、矛楯に及ふのとき、種久とともに東照宮の御〓下に屬し、援
  • 1440,681,67,2230助を請ひたてまつりしかは、永祿四年閏三月二十一日、九郎左衞門某及ひ種久と連名の
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