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をとて感状在之、柴田合戰之刻、雖令紛失證文如此、, 石部城を攻、菩提寺の城を陷るといへとも、長俊等力を合せ忠をつくしてふせき戰ふ, 堀をふかくして、相共に守護す、織田右府これをきゝ、佐久間父子をして大軍を催し、, かゆへに、佐久間城をぬくことあたはす、この戰に長俊、林寺熊之介を討取しかは、, ヲ岐阜ニ殺スコト、本月十日ノ條ニ、承禎父子ヲ近江石部城ニ攻メテ、之ヲ陷ル, 長政父子ヲ攻メテ、之ヲ殺スコト、同年八月二十七日ノ條ニ、近江杉谷ノ善住坊, 守館へ承禎立のかるゝ刻、彼六人隨附す、下野守と之石部之城に承禎と共に楯籠る、, 承禎より感状を與ふ、, 者六人在之、長俊も其一人也、是を江州六人衆と其比申候、江州甲賀郡之石部下野, 信長公是を攻させ給ふ、佐久間父子攻之、彼六人何〓忠節之由、別而長俊は抽軍功, ○信長、六角義治ヲ近江鯰江城ニ攻ムルコト、本年四月七日ノ條ニ、淺井久政, 山中長俊〓〓、山承禎甲賀郡石部の城にいたるのゝち、石部下野守某城をかたくし、, 〔寛政重修諸家譜〕, ○下略、十二月二十四日附、山中長俊宛, 六角承禎感状ニカヽル、前掲「古證文, ○下略、石部城陷ルコトニカヽル、, 天正二年四月十三日ノ條ニ收ム、, 五百九, 十二, ニ同, 野寸ニ頼ル, 承禎石部下, 近江六人衆, 天正元年九月四日
割注
- ○下略、十二月二十四日附、山中長俊宛
- 六角承禎感状ニカヽル、前掲「古證文
- ○下略、石部城陷ルコトニカヽル、
- 天正二年四月十三日ノ條ニ收ム、
- 五百九
- 十二
- ニ同
頭注
- 野寸ニ頼ル
- 承禎石部下
- 近江六人衆
柱
- 天正元年九月四日
注記 (24)
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