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この戰に長俊林寺熊之介を討取しかは、承禎より感状を與ふ、のち寄手, くし堀をふかくして相共に守護す、織田右府これをきゝ、佐久間父子を, 衆といふ、承禎甲賀郡石部の城にいたるのゝち、石部下野守某、城をかた, 十一箇所に附城を構へてこれを攻討、城中つゐに兵粮つきて、暗夜の雨, して大軍を催し石部城を攻、菩提寺の城を陷るといへとも、長俊等力を, 合せ、忠をつくしてふせき戰ふかゆへに、佐久間城をぬくことあたはす, たかふものわつかに六人、長俊もその一人なり、世にこれを近江の六人, 禎につかへ、承禎沒落のとき、郎從等こと〳〵く退散す、このときつきし, 長俊母は某氏、天文十六年近江國に生る、いとけなきより佐々木入道承, 山中今の呈譜に、奈良〓の後胤にして、先祖, 〔寛政重修諸家譜〕, 近江國甲賀郡山中村に住せしより稱號とすといふ、, 長俊, 慶長十二年十二月二十四日, 爲俊, 從五位下, 十郎、石見守、先祖より代, 橘内、山城守、, 五百九, 十二, 々佐々木家につふ、, 宗俊, 近江ノ六, 山中長俊, 禎ニ仕フ, 佐々木承, ノ事蹟, 人衆, 慶長十二年十二月二十四日, 二一五
割注
- 從五位下
- 十郎、石見守、先祖より代
- 橘内、山城守、
- 五百九
- 十二
- 々佐々木家につふ、
- 宗俊
頭注
- 近江ノ六
- 山中長俊
- 禎ニ仕フ
- 佐々木承
- ノ事蹟
- 人衆
柱
- 慶長十二年十二月二十四日
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- 二一五
注記 (30)
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