『大日本史料』 12編 5 慶長十二年八月~同十三年十二月 p.216

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十人をあつかり、家老の列に加はり、右府に〓す、天正十一年梁瀬合戰の, す、下野守か嫡男又左衞門、二男右馬允殿して矢を放ち敵を驚かす、これ, 位下山城守に敍任し、一萬石の地を宛行はる、東照宮よりも懇に仰下さ, をのつから敵對するに似たり、ゆへに所領を沒收せらるといへとも、多, によりて數百人追かけ來るときに、石部か一族をよひ六人の兵とも、か, 賀國をさり、のち柴田修理亮勝家につかへ、三千石を知行し、鐵炮同心五, ろ、承禎に附從ふもの多くして、國人これを厭ふかゆへに、承禎、長俊等に, 屬す、豐臣太閣かねて長俊をしるかゆへに、時々恩言を加へらる、長秀卒, してのち、堀左衞門督秀政かもとに寓居す、そのゝち太閤につかへ、從五, とき、安養寺猪之介と鎗を合す、勝家滅亡のゝち、丹羽五郎左衞門長秀に, へし合せて防戰し、敵數十人を討取、事ゆへなく伊賀國にいたるのとこ, れ、物數多を賜ふ、慶長五年關原御陣のとき、その身大坂にあるによりて、, をまち、妻子を引具してひそつに伊賀國に退く、佐久間か兵これをしら, いとまをあたふ、辭すること再三に及ふといへともゆるさす、よりて伊, 年の芳契あるにより、京師に住し、御上洛のときもまみへたてまつり、御, 慶長十二年十二月二十四日, 秀吉ニ仕, 柴田勝家, ニ仕フ, フ, 二一六

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  • 秀吉ニ仕
  • 柴田勝家
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  • 二一六

注記 (21)

  • 999,730,58,2140十人をあつかり、家老の列に加はり、右府に〓す、天正十一年梁瀬合戰の
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  • 533,733,61,2148位下山城守に敍任し、一萬石の地を宛行はる、東照宮よりも懇に仰下さ
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