『大日本史料』 10編 22 天正2年4月~6月 p.15

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戰し、敵數十人を討取、事ゆへなく伊賀國にいたるのところ、承禎に附從ふもの, つかへ、三千石を知行し、, 再三に及ふといへとも、ゆるさす、よりて伊賀國をさり、のち柴田修理亮勝家に, 雨をまち、妻子を引具して、ひそかに伊賀國に退く、佐久間か兵これをしらす、, て、數百人追かけ來るときに、石部か一族をよひ六人の兵とも、かへし合せて防, 下野守か嫡男又左衞門・二男右馬允、殿して矢を放ち、敵を驚かす、これにより, 多くして、國人これを厭ふかゆへに、承禎長俊等にいとまをあたふ、辭すること, ○信長、六角義治ヲ近江鯰江城二攻ムルコト、天正元年四月七日ノ條ニ、信長, ノ將佐久間信盛・信榮父子、六角承禎ヲ同國石部城二攻ムルコト、竝ニ、信長, 之略之、, のち寄手十一箇所に附城を構へて、これを攻討、城中つゐに兵粮つきて、暗夜の, 山中長俊, 〔寛政重修諸家譜〕圧, ○中略、天正元年九, 月四日ノ條二收ム、, 位下、母は某氏, 橘内、山城守、從五, ○下, 略, 天正二年四月十三日, 一五

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  • ○中略、天正元年九
  • 月四日ノ條二收ム、
  • 位下、母は某氏
  • 橘内、山城守、從五
  • ○下

  • 天正二年四月十三日

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  • 一五

注記 (21)

  • 919,762,61,1960戰し、敵數十人を討取、事ゆへなく伊賀國にいたるのところ、承禎に附從ふもの
  • 594,771,53,602つかへ、三千石を知行し、
  • 695,763,64,1958再三に及ふといへとも、ゆるさす、よりて伊賀國をさり、のち柴田修理亮勝家に
  • 1251,769,59,1928雨をまち、妻子を引具して、ひそかに伊賀國に退く、佐久間か兵これをしらす、
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  • 1142,767,60,1963下野守か嫡男又左衞門・二男右馬允、殿して矢を放ち、敵を驚かす、これにより
  • 809,762,59,1965多くして、國人これを厭ふかゆへに、承禎長俊等にいとまをあたふ、辭すること
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