『大日本史料』 10編 18 天正元年9月~同年11月 p.48

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て、城を渡し、鳳來寺へ退、家康衆城を請取、松平外記長篠に在番也、, 一、天正元年四月、信玄死去、然とも深く隱し、更に知人なし、唯病氣と計沙汰有、, 手に、甲州衆人數を出し悉く〓崩され候、扠勝頼本陣より返し懸付候へ共、甲州先, 武田滅亡ノ後、遠州へ參ケレ共無合力、徒ニ牧野右馬丞ニ被預置、, 一命を御助候樣ニと申、甲州後詰の勢、長篠近所迄出張しけれとも、それを不待し, 一、此後詰の勢、甲州へ歸とて、遠州もりと云所ニ而濱松衆とせり合、本多平八郎一, 篠菅沼伊豆守・同新九郎隨分防きけれ共、本多平八郎・榊原小平太等、謀を廻しけ, る間、籠城衆色々佗言致し、殊更室賀一葉軒は、家康數寄の鷹を一もと進上致し、, 然るに其年九月、家康長篠の城へ出張して攻らるゝ、籠城の甲州方室賀一葉軒・長, 申之由也、然共先山中え退城之處ニ、此儀露顯シテ信州小室へ遣、令籠者事十ケ年、, 手を皆追くつし、早々引取ける故、甲州衆手を失ひ、甲州へ歸、, 〓譜牒餘録〕, 〔松平記〕1, 同年九月八日、長篠の城扱に成、城番は室賀入道、城主は菅沼伊豆・同新九郎城をあ, 天正元年九月八日, 二十七, 奥平美作守書ト, 鷹ヲ贈ル, 篠城ヲ守ラ, 昌ヲシテ長, 甲斐ノ援兵, 家康松平伊, 徳川氏ノ軍, 信俊家康ニ, ト遠江森ニ, 小諸ニ幽セ, ニヨリ信濃, 内通ノコト, 戰フ, シム, ラル, 天正元年九月八日, 四八

割注

  • 二十七
  • 奥平美作守書ト

頭注

  • 鷹ヲ贈ル
  • 篠城ヲ守ラ
  • 昌ヲシテ長
  • 甲斐ノ援兵
  • 家康松平伊
  • 徳川氏ノ軍
  • 信俊家康ニ
  • ト遠江森ニ
  • 小諸ニ幽セ
  • ニヨリ信濃
  • 内通ノコト
  • 戰フ
  • シム
  • ラル

  • 天正元年九月八日

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  • 四八

注記 (33)

  • 810,742,68,1810て、城を渡し、鳳來寺へ退、家康衆城を請取、松平外記長篠に在番也、
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