『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.631

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れ、笠間を轉して丹波國篠山において、五萬石餘をたまひ、御朱印を下さる、, 以か子也、そのゝち松平周防守康重高城に居たりしに、台命にて城を笹山, 村は東にて澤田村、笹山は日置庄黒谷村といふ、, よひ篠山の地圖を獻す、使者石川河内信昌を御前にめされ、委く其地の形, この地は山陰道要害の地なるにより、東照宮の命をうけて、八上の古城を, 松井, 勢をたつねたまひ、あらたに城を築かしめたまふ、この時藤堂和泉守高虎、, に移す、ときに笹山富山王地山三ツの内、いつれにも築くへきよし台聞に, 邊篠山ニ城ヲ築クヘキノ沙汰ナリ、遂ニ康重侯八上ニ赴キ、城ノ圖并ニ篠, 康重慶長十三年領知をくはへら, 丹州ハ山陰道ノ要地タルニ、八上ノ城地ハ要害惡シキニ依テ是ヲ廢シ、其, 松平大隅守重勝等これを奉行し、山陰、山陽、南海道十二箇國の人夫を役す、, 〔寛政重修諸家譜〕, 達せしに、笹山に築へしと命せらるゝ、富山は笹山より西にて岡谷村、王地, 〔兵家茶話〕七秀吉公治世之時、前田主膳正高城に居、主膳正は徳善院玄, 〔公室年譜略〕, 拾間, 慶長十三年六月、此月, 〔公室年譜略〕〓山公四慶長十三年六月、此月、, ○中略、十三年九月、康重、八, 上城ニ移ル條ニ收メタリ、, 高山公四, 十三, 三百七, 稱松, 平, 七, (山カ〕, 松平康重, 慶長十四年九月是月, 六三一

割注

  • ○中略、十三年九月、康重、八
  • 上城ニ移ル條ニ收メタリ、
  • 高山公四
  • 十三
  • 三百七
  • 稱松
  • (山カ〕

頭注

  • 松平康重

  • 慶長十四年九月是月

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  • 六三一

注記 (31)

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