『大日本史料』 7編 3 応永4年是歳~同6年6月 p.903

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の居城とも記したれは、里傳にもかなひて、滿貞なるはうつなし、, といひし也、滿直、滿隆にも弟也といはれし、又白川古事考にも、應永六年, 滿貞を安積郡笹川に下すとあり、まして一覽及び異本古館辨には、滿貞, 號すとあり、館基考に、是を駁して、篠川殿は鎌倉公方滿兼の弟にて滿貞, 男基氏の嫡左兵衞督、其子滿兼、弟滿直奧州管領篠川に居城す、篠川殿と, トノ説, 應永六年是春, 九〇三

頭注

  • トノ説

  • 應永六年是春

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  • 九〇三

注記 (8)

  • 1405,725,62,1911の居城とも記したれは、里傳にもかなひて、滿貞なるはうつなし、
  • 1638,721,61,2121といひし也、滿直、滿隆にも弟也といはれし、又白川古事考にも、應永六年
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