『大日本史料』 10編 20 天正元年雑載~同2年正月 p.579

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尾の要地を得たりと聞き、戰はすして還る、, 通戰死す、因て此地に葬る、事は小根占の卷に出たり、, 小根占郷, 某を遣し、兵を卒ひ、肝付・伊地知の兩氏と共に、牛根城を救ふ、薩摩の軍茶園ケ, 喜入圖書忠通墓天松院跡にあり、天正二年正月、肝付か兵小根占富田城を襲ふ、忠, を拔き、民屋に火を放ちて、當城に逼る、城主重長甚危し、時に喜入攝津季久・平, て敵を敗る、首を斬る事百餘級、此時季久の弟忠道等戰死す、, 田新左衞門等援兵として、當城に在り、城丘と共に是を禦き、岩戸口, 〔地理纂考〕, る、義久、重興本領の内、下之城一ケ所、田祿三千八百石を與ふ、〓, 十九日、轉して當邑瀬脇城, に戰, 冨田城一名南谷城といふ、禰寢氏累代の治城なり、〓中二年正月、伊東氏其將伊東, 大根占郷, なり、〇下, 天正二年正月十九日, 略, 事は入船城の條, に見えたり、, 此地今審か, ならす、, 正月十九日、忠通戰死せ, 一説に瀬脇城陷りしは、, にあり、大根占の記録に、忠道は大根占本場の上にて戰死す、因て其地天松院に葬るとあり、大根占の卷に詳, しは、三月三日にて、此一戰を兩度の事とす、兩説何れか正しからむ、按するに忠道の墓は、大根占郷天松院, 二十二大隅國, 大隅郡, 一十二, なり、○下, 喜入忠通ノ, 墓, 五七九

割注

  • 事は入船城の條
  • に見えたり、
  • 此地今審か
  • ならす、
  • 正月十九日、忠通戰死せ
  • 一説に瀬脇城陷りしは、
  • にあり、大根占の記録に、忠道は大根占本場の上にて戰死す、因て其地天松院に葬るとあり、大根占の卷に詳
  • しは、三月三日にて、此一戰を兩度の事とす、兩説何れか正しからむ、按するに忠道の墓は、大根占郷天松院
  • 二十二大隅國
  • 大隅郡
  • 一十二
  • なり、○下

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  • 喜入忠通ノ

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  • 五七九

注記 (32)

  • 1402,729,56,1114尾の要地を得たりと聞き、戰はすして還る、
  • 273,728,60,1395通戰死す、因て此地に葬る、事は小根占の卷に出たり、
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  • 1033,734,58,1614て敵を敗る、首を斬る事百餘級、此時季久の弟忠道等戰死す、
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