『大日本史料』 10編 14 天正元年2月~同年3月 p.258

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各軍せられたり、此度は伊東・肝付得小利、先々引陣しけると聞へける、, 横尾に打上り、勝吐氣動と作りける、由々しさ限り無りけり、從夫根占の如く打入給へは、, 書助・同弟小四郎、加世田の勢を相具して、國見の城より馳連き、火間を散して防き戰ふ, 其外所々の軍兵打死する人多かりけり、圖書助兄弟文武二道の器量也と、惜まぬ人そなか, を人質にして差上らる、其折節一揆無念にやおもひけん、伊東・肝付・伊地知等評議を成, 番兵を入置れ、大將を初として軍衆皆〳〵歸陣せられける、其時重武の息男いまた少年成, し、小根占へ勢を打出し、濱の拵を攻落し、其儘本地の麓に押寄、放火を成處ユ、喜入圖, 其時重武本望此事也と御祝言申され、御武運の程をそ感しける、同三月には境目の城々に, 合戰比類なかりけり、去れ共敵は大勢なれは打負て、圖書助・小四郎、其場に即打死す、, 入違へ切て懸り、面もふらす戰へは、敵何かは忍へき、敗軍して、皆悉く討れたり、其儘, りける、相連く慈の勢岩瀬戸口へ追かけて合戰し、敵も數打取らる、於此猿渡越中守・伊, 尻伊賀守、喜入攝津守同心にて殊なる働き、平田新左衞門川邊の勢を卒して手を碎き働、, 〔日向記〕, 嶋津與肝付相戰事, 天正元年三月十八日, 嶋津與肝付相戰事, 五八

  • 天正元年三月十八日
  • 嶋津與肝付相戰事

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  • 五八

注記 (17)

  • 518,692,55,1770各軍せられたり、此度は伊東・肝付得小利、先々引陣しけると聞へける、
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