『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.158

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内府に味方せる和泉國岸和田の城及び紀國オカマ, し山に引き上げざるを得ざるに至れり、此第一の衝〓は、大坂方に取りて, きを見て戰鬪に參加するにあらざりせば、終に之を敗ることを得たるな, 占領せり、内府は其周圍に、是まで日本に於て曾て見たることなき多數に, らん、然るに此新手の攻撃により、戰勝者は戰敗者として退き、其下り來り, して又勇敢なる軍隊を有せり、此軍隊は三十萬の劔を算したり、大坂の軍, るべきは明に認められたり、而して眞田フランコ及び明石掃部が味方危, ひしが、内府の兵は勇敢に之を迎へ戰ひたれば、勝利の被攻撃者の側にあ, 爲め出發せしめたり、然るに司令官又は兵士の怯懦なる爲めか、又は敵の, は損害頗る多く、多數の死者を出し、其内貴族も尠からず、中には數名の基, 拂曉、又兵衞は他の一司令官と共に、各一萬の兵を率ゐ城外に出で戰, 勇敢なる爲めか、其軍は多くの損失を被り、成功を見ることなくして歸り, は二日前より陣列を布き、戰鬪の準備を爲して待ち受けたり、六月八日, 大坂の視界に達し、日暮に及び、同所を眼下に見下すべき數個の山を, 來れり、内府は此報を得て、軍を率ゐて都を發し、大和國を經て、六月一日、〓, の城を占領する, 二日, ○和, 歌山, 月十, 月五, ○, 大坂ノ軍, 容熾盛, 家康大坂, ニ向フ, 元和元年五月八日, 一五八

割注

  • 二日
  • ○和
  • 歌山
  • 月十
  • 月五

頭注

  • 大坂ノ軍
  • 容熾盛
  • 家康大坂
  • ニ向フ

  • 元和元年五月八日

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  • 一五八

注記 (28)

  • 1795,621,57,1564内府に味方せる和泉國岸和田の城及び紀國オカマ
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