『大日本史料』 3編 1 応徳3年11月~寛治4年雑載 p.318

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出けるに、郎等、かゝる事をこその給ひつれと語けれは、さためて樣あらん, ふる、此野にかならす敵ふしたるへし、からめ手をまはすへきよし下知せ, 〔古今著聞集〕, たりけり、兩陣みたれあひて戰事かきりなし、されともかねてさとりぬる, らるれは、手をわかちて三方をまく時、あんの〓く三百餘騎をかくしおき, 場三郎景親、大將軍ト〓兄弟親類已下三千餘騎也, といひて、車にのられける所へすゝみよりて會尺せられけり、やかて弟子, おさへて、先年江帥の教へ給へる事あり、夫軍野に伏す時は、飛鴈つらをや, 給ふ人かなとおもひたりけり、さる程に江帥出られけるに、やかて義家も, 澤の城をせめけるに、一行の鴈飛さりて、苅田の面におりんとしけるか、俄, に成て、それよりつねにまうてゝ學問せられけり、其後永保の合戰の時、金, におとろきて、つらをみたりて飛歸りけるを、將軍あやしみて、くつはみを, 物語申けるを、匡房卿よく〳〵聞て、器量はかしこき武者なれ共、猶軍の道, をはしらぬと獨ことにいはれけるを、義家の郎等きゝて、けやけき事をの, 事なれは、將軍の軍勝に乘て、武衡等か軍やふれにけり、江の一言なからま, 同朝臣十二年の合戰の後、宇治殿へ參りて、戰の間の, 古今著聞集〕〓勇同朝臣十二年の合戰の後、宇治殿へ參りて、戰の間の, 武勇, ○下, 九, 略, 義家匡房, ニ學プ, 寛治元年十二月二十六日, 三一八

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  • 武勇
  • ○下

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  • 義家匡房
  • ニ學プ

  • 寛治元年十二月二十六日

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  • 三一八

注記 (25)

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