『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.267

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崎、信澄と一所に討死す、年二十八、, て、いそき城にかへり、三七信孝と謀ていはく、信澄は明智かむこなり、急に, をたひらけ、尼ケ崎にをひて秀吉にまみゆ、, これをころして城をまもるへしとて、即時に信澄の居する千貫櫓をせめ, やぶり、信澄自害す、こゝにをひて河をわたり、攝州にをもむお、伊丹の賊徒, ニ至テ、織田家〓ニ傷害スト云ヲ聞テ、憤激悲歎シテ大坂ニ還ル、時ニ織, 明智を誅せんとして、森口に至るといへとも、信長既にほろひたまふと聞, く大坂の城代となる、同年六月二日、明智光秀、信長を〓す、長秀義兵を發し、, 光次仕信行之子織田七兵衛尉信澄、天正十年壬午六月八日、於攝州尼ケ, 光之仕織田七兵衛尉信澄、天正十年壬午六月八日、於攝州尼ケ崎、戰丹羽, 于時惟任日向守光秀逆心ヲ作シ、織田家ヲ洛ノ本能寺ニ〓ス、變報至ル、, 五郎左衛門長秀、主人信澄并從弟光次一所に討死、年二十七, 〔丹羽家譜傳, コレヲ聞テ大ニ駭キ、急ヲ信孝ニ告、直ニ馬ヲ馳テ洛ニ向フ、森口, 六月二日、公、逆黨織田七兵衞信澄ヲ大坂ニ誅ス、, 天正十年、織田信澄とおなし, 公, 天正十年六月五日, 〔寛永諸家系圖傳〕百十丹羽, ○寛政重修諸家譜丹, 大坂, 羽秀長譜異事ナシ, ニ在, 五郎左, 衞門尉, 長秀譜傳, 二, 信澄ヲ殺, ト謀リテ, 長秀信孝, 同光之, 林光次, ス, 二六七

割注

  • ○寛政重修諸家譜丹
  • 大坂
  • 羽秀長譜異事ナシ
  • ニ在
  • 五郎左
  • 衞門尉
  • 長秀譜傳

頭注

  • 信澄ヲ殺
  • ト謀リテ
  • 長秀信孝
  • 同光之
  • 林光次

ノンブル

  • 二六七

注記 (34)

  • 1806,690,59,997崎、信澄と一所に討死す、年二十八、
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  • 763,622,59,1274をたひらけ、尼ケ崎にをひて秀吉にまみゆ、
  • 991,626,64,2183これをころして城をまもるへしとて、即時に信澄の居する千貫櫓をせめ
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