『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.265

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をせむ、このとき、從兵皆城外にあり、信澄勇なりといへども、兵少うして, 城をたまはる、このとき右府より先祖信定傳來の刀、及び八樋正宗の脇, 指をたまはり、桐瓜の紋をゆるさる、のちしば〳〵戰功あり、十年五月、右, 月、右府事あるののち、神戸信孝、丹羽長秀等、信澄をうたがひて、俄にこれ, に留、其身は千貫櫓にあり、廿一日、東照宮、京、大坂、奈良、堺等を御遊覽の爲, がもとに育せらる、永祿七年正月、元服して津田を稱す、この日尾張國川, に、彼城に渡御あるの時、信澄、右府の命をうけて、懇に饗したてまつる、六, 西の地を宛行はれ、蝶の紋をゆるさる、天正六年二月三日、近江國大溝の, 信澄三歳にして織田右府に〓す、このとき右府の命によりて、柴田勝家, 府四國を征するのとき、信澄軍をひきゐて大坂にいたり、從兵等を城外, 信行, 信澄母は和田備前守某が女、高島の局、弘治三年、父信行誅せらるゝの後、, 天正十年六月五日, 母は光秀が女, 昌澄, 元信, 門、刺髮號道半齋、主水, 衞門, 或信重、庄九郎、三左衞, 兵衞, 備後守信秀が三男, 主水、左, 勘十郎、武藏守、織田, 坊丸、七, 元信, 昌澄, 信澄ノ略, 大溝ヲ賜, 歴, ハル, 信澄ノ家, 系, 二六五

割注

  • 門、刺髮號道半齋、主水
  • 衞門
  • 或信重、庄九郎、三左衞
  • 兵衞
  • 備後守信秀が三男
  • 主水、左
  • 勘十郎、武藏守、織田
  • 坊丸、七
  • 元信
  • 昌澄

頭注

  • 信澄ノ略
  • 大溝ヲ賜
  • ハル
  • 信澄ノ家

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  • 二六五

注記 (33)

  • 300,710,60,2114をせむ、このとき、從兵皆城外にあり、信澄勇なりといへども、兵少うして
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