『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 14 訳5 1641年02月-1641年09月 p.80

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行うため、數人の大工たちを呼びに人を遣った。, く、寧ろ彼等から與えられた命令に從わざるを得ないことを見て取ったので、明日は取壞しを, によっても, 起るかも知れず、しかも、我々が既に蒙った〓辱に對して我々が、何らかの報復手段をとろう, 本日我々は江戸から、その後の、もっと詳しい知らせを受取った。すなわち、先に述べた同, 由。同樣にまた我々は、次のことも聞き知った。すなわち、下の方の國々の領主たちは總べて、, の季節風期に皇帝陛下の命令によりポルトガル人たちを長崎で死刑に處し、且つ彼等のガリオ, まって、絶えず帆影に監視の眼を見張るよう皇帝陛下から命ぜられたが、その理由は、或いは, ことが起るかも知れず、或いはまた、そのこと自體が彼等サ, ポルトガル人たちが彼等のガリオット船群で將來日本の國土に何らかの攻撃を加えようとする, 年々の慣例に。從い上の方へ向けて出發しつつあり、この地の領主もまたこの目的のため、向う, 地で起った火事, ト船を船内にあった貨物もろとも燒拂うことになった、あの使節〓, ちが彼等の家を燒き拂われ、同時に二〇六人が火によって燒け死んだが、その中では、去る南, 及び才ムメラ, と同樣我々, により、一九〇○人の市民たちと一九人の領主その他の大官た, の領主たちは、彼等の領地に留, もまた燒け死んだ, 一五乃至一六日の裡には乘船する筈であること。しかし、フィンゴ、, アリマ, 一六四一年六月〔一六四一年四月平戸にて〕, 一〇, ○寛永十八年正月一, ○有馬。領主は高力攝津守忠房、ヽ, ○加々爪民部, 六三八年までは濱松に在封, ガル人。, ダ人(, 村丹後守純信, ○オラン, ○肥後。領主は細川越中守忠利、ヽ, ○ポルト, ○大村。領主は大, 十九日江戸大火。, この年間もなく死亡する。, 〓輔忠澄。, 通信, 參府せず, 詳報, 土襲撃の怖, 襲監視の爲, 蘭人も亦國, 名は葡船來, 正月大火の, あり, 江戸よりの, 地元の噂, 就く, 死去, 馬大村三大, 但し細川有, 加々爪忠澄, 西國諸大名, 參府の途に, 七九

割注

  • ○寛永十八年正月一
  • ○有馬。領主は高力攝津守忠房、ヽ
  • ○加々爪民部
  • 六三八年までは濱松に在封
  • ガル人。
  • ダ人(
  • 村丹後守純信
  • ○オラン
  • ○肥後。領主は細川越中守忠利、ヽ
  • ○ポルト
  • ○大村。領主は大
  • 十九日江戸大火。
  • この年間もなく死亡する。
  • 〓輔忠澄。

頭注

  • 通信
  • 參府せず
  • 詳報
  • 土襲撃の怖
  • 襲監視の爲
  • 蘭人も亦國
  • 名は葡船來
  • 正月大火の
  • あり
  • 江戸よりの
  • 地元の噂
  • 就く
  • 死去
  • 馬大村三大
  • 但し細川有
  • 加々爪忠澄
  • 西國諸大名
  • 參府の途に

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  • 七九

注記 (56)

  • 1682,616,65,1153行うため、數人の大工たちを呼びに人を遣った。
  • 1788,611,72,2280く、寧ろ彼等から與えられた命令に從わざるを得ないことを見て取ったので、明日は取壞しを
  • 469,2654,48,263によっても
  • 321,637,73,2284起るかも知れず、しかも、我々が既に蒙った〓辱に對して我々が、何らかの報復手段をとろう
  • 1581,618,71,2284本日我々は江戸から、その後の、もっと詳しい知らせを受取った。すなわち、先に述べた同
  • 1065,621,74,2284由。同樣にまた我々は、次のことも聞き知った。すなわち、下の方の國々の領主たちは總べて、
  • 1267,626,77,2282の季節風期に皇帝陛下の命令によりポルトガル人たちを長崎で死刑に處し、且つ彼等のガリオ
  • 649,642,73,2271まって、絶えず帆影に監視の眼を見張るよう皇帝陛下から命ぜられたが、その理由は、或いは
  • 442,645,70,1409ことが起るかも知れず、或いはまた、そのこと自體が彼等サ
  • 547,637,68,2285ポルトガル人たちが彼等のガリオット船群で將來日本の國土に何らかの攻撃を加えようとする
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  • 1475,620,54,374地で起った火事
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  • 1373,608,75,2301ちが彼等の家を燒き拂われ、同時に二〇六人が火によって燒け死んだが、その中では、去る南
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