『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.273

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たんとの支度なり、しかれ共運命つき、其家人, 返り忠, 神戸三七信孝は、四國發向のためとて、泉州堺の津に陣を居られしが、此た, なる暴君にして、諸人皆其死を希ひたれば、一同大に滿足せり, ○信孝、阿波ニ赴カントシテ、住吉ニ抵ルコト、五月十一日ノ條ニ、信澄、, びの騷動に依て、味方の軍勢あまた落うせ、殘る兵わつかに八十騎ばかり, に謀反の企あり、彼信澄は、信長公の御舍弟織田武藏守信行の子息なり、父, れに依て、信孝彼是諸勢をめしあつめ、責上らんとせられし時、信澄にはか, 也、爰に織田七兵衛尉信澄、丹羽五郎左衛門長秀、其比攝州大坂に在城す、こ, 長ヲ〓ストノ風説アリシコト、本月二日ノ條ニ見ユ、, がむこなれば、此たび光秀、信澄一味に謀り、當家を亡し、此次而に信孝をう, 武州の事につきく、内々信長公をうらみ年月を送る、しかのみならず、明智, 〔北畠物語〕六信澄自害の事, 長秀ト共ニ大坂ニ赴クコト、同二十一日ノ條ニ、信澄、光秀ト謀リテ、信, 〔參考〕, 康、三河ニ歸, ○勢州軍伊、總見記并, 一朽木、匂坂等トアリ, ○上下略、家, ルコト、及ビ光秀、攝津ニ兵ヲ出サヾリシコト, 等ニカヽル、本月四日及ビ本日ノ條ニ收ム、, 信孝ノ從, 士離散ス, 天正十年六月五日, 二七三

割注

  • 康、三河ニ歸
  • ○勢州軍伊、總見記并
  • 一朽木、匂坂等トアリ
  • ○上下略、家
  • ルコト、及ビ光秀、攝津ニ兵ヲ出サヾリシコト
  • 等ニカヽル、本月四日及ビ本日ノ條ニ收ム、

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  • 信孝ノ從
  • 士離散ス

  • 天正十年六月五日

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  • 二七三

注記 (25)

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