『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.381

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長公御父子爲光秀御腹めされしよし、聞とひとしく、藤孝も與一郎もかみ, となし給へり、丹波と隣國なるに依て、藤孝の嫡子與一郎, 嚴然たれは、情なこりもなく見えしに依て、愛別離苦のなけきこよなふ哀, おろしなとし、落〓の體いとたうとく見えにけり、與一郎、妻ニ向て云やう, の山中三戸野と云所へ、一色宗右衞門尉を付て送けり、與一郎無二の忠義, 長岡兵部大輔藤孝は、信長公へ度々の忠義を勤められしかは、丹後の國守, は、汝か父光秀は、眼前主君のかたたなり、同室にかなふへからすとて、丹後, 聟にし侍れよと、信長公仰に依て、親しく有し也、六月二日午前に、於二條、信, 和國守護筒井順慶、京都之趣令注進、早々可有上洛之由、再三雖遣使札惟任, 逆意間、不相與者也, 〔太閤記〕三長岡父子堅守信事, 候處、其夜一揆共城を落去候を追討ニ仕、數多討取申候、, 六月十日、於坂本城歸陣、然惟任合體之侍、丹後國守護長岡兵部大輔藤孝、大, 退可申候間、俄攻ニおよひ申間敷由申候付、同意ニ存、下知仕、俄攻を止居, 〔秀吉事記]惟任退治, を、惟任か, 後號越, プ殺スコトニカヽル、并ニ本月五日ノ條ニ收ム, ・○上下略、光秀、安土ニ入ルコト、及ビ信孝等、信澄, 中守、, 及ビ順慶, ヲ招ク, 光秀藤孝, 天正十年六月九日, 三八一

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  • 後號越
  • プ殺スコトニカヽル、并ニ本月五日ノ條ニ收ム
  • ・○上下略、光秀、安土ニ入ルコト、及ビ信孝等、信澄
  • 中守、

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  • 及ビ順慶
  • ヲ招ク
  • 光秀藤孝

  • 天正十年六月九日

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  • 三八一

注記 (25)

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