『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.377

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し候、, とあり、, 米田甚左衞門是澄、, に從軍して陣を山崎に張る、忠興は、先ツ天王寺の西尾崎をのり取て、, 論ニ不及、, 一六月十六日、秀吉山崎表にして光秀と一戰あり、其頃幽齋君、忠興君より、, なれは、法體の相にて戰んとて〓を截る、藤孝父子も同之、同十日、秀吉, 我舊城なれはとて、同十五日、丹羽長秀と共に、此を圍て拔と云々、相違, 一書、同月七日、藤孝父子丹後を發して、軍を天王寺に屯して、秀吉の高, 松より登るを待、秀吉盟辭を筆して父子に誓ふ、秀吉は内府の弔合戰, 敵退治の趣を伺はれ候、此兩人攝州茨木邊, を受て、隊下の士卒を率し打向、藤一郎を初め悉く討取り、國中平均いた, 大功を立たり、中略、三宅藤兵衞は、五百餘兵を以青龍寺を衞る、忠興は, 同國奧山に、矢野藤一郎、惟任ニ與して、忠興君に從はす、有吉立行御下知, 二上兵藏友田兩使として、彌御義心を告られ、怨, 一書、竹野の首領竹野園右衞門を始、一揆に與する者捕へ來て、首を刎, にて秀吉ニ參り合、斯と, 漏太平記, 天正十年六月九日, 初政, 高槻, 一本, 俊, 矢野藤一, 役ニ出陣, 忠興山崎, ストノ説, 郎, 藤孝ノ使, 者茨木ニ, 天正十年六月九日, 三七七

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  • 初政
  • 高槻
  • 一本

頭注

  • 矢野藤一
  • 役ニ出陣
  • 忠興山崎
  • ストノ説
  • 藤孝ノ使
  • 者茨木ニ

  • 天正十年六月九日

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  • 三七七

注記 (32)

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