『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.905

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北條氏直と甲斐國新府に御對陣乃とた、相模國のをはへとして、足高山の, 山の麓にをいく、天神川の古城をこしらへ、長茂ををきて、是をまもらしむ, ふのとた、忠節をつくし、奉公をぬきむつへきむふ誓状を書しむ、このとし, 〓とも、遂にゆるさす、唯この恩惠をおもはは、東照宮東海道を下らせた乃, さたきくところのことし、をの〳〵の父母妻子かの地にあるうへは、速に, 其言にし堂かふしから、でかる伊賀甲賀のものともをあつめ、上方乃あり, はせかをりて其先途をみとゞく〓しとて、暇とらせ路用をもあたへけれ, は、彼輩おほいにだの志に感じ、踏留りる忠戰をはずますへきよし申とい, 大權現甲州新府にて、北條氏直と御對陣乃と文、相州のをさへとして、足高, の多し、長茂これを察し、すみやかにいとまとらせむ事を康成にこふ、康成, 稻垣長茂, 同年駿州をたいらけ給ふと, る事數月の後、服部半藏, の砦を守衞し、〓山のをさへとなる、, 麓天神川左古城を修補しふ、これを守り、乃ちまた康成に屬し、伊豆國柾戸, 仰に依て、長茂にかはけ〓是をまも, たに、康成仰をかうふ〓て、駿州興國寺乃城をまもる、長茂是に屬す、同七月、, 〔寛永諸家系圖傳〕, ○藩翰譜、渡邊, 半藏ニ作ル, 藤助、平, 五十, 右衞門、, 伊賀甲賀, ノ者共ヲ, シテ歸國, セシム, 服部正成, 天正十年七月三日, 九〇五

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  • ○藩翰譜、渡邊
  • 半藏ニ作ル
  • 藤助、平
  • 五十
  • 右衞門、

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  • 伊賀甲賀
  • ノ者共ヲ
  • シテ歸國
  • セシム
  • 服部正成

  • 天正十年七月三日

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  • 九〇五

注記 (30)

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