『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.82

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月十九日、廿日に、妻子を深志へ移し申、其上萬事御仕置被成、方々口々へ, 申者を飛脚に進上仕候へは、下條迄御著被成、下條殿御取持にて、上伊奈, へ御移り被成候、然共兩郡鎭りかふ申候に付て、二木一類并拙者式も、七, 御人數被遣、其上御知行割被遊、二木一類其外にも御奉公申候衆に御知, 迄御著のよし承、二木一類其外合三拾騎ほと御迎と罷出候、同月十六日, 曾の者壹人討取申候事、, 御座候佐渡登り申候、拙者は洞雪樣の方に罷有、大ぬた小屋おとしの時, 門、飯田右馬助、拙者乘付、佐渡をうはいとり申候、其上ざうしの橋にて、木, 番に乘付申候衆、二木六右衞門、同彦兵衞、岩波平左衞門、青木加賀右衞, 一同年七月、貞慶公三河に御座候よしを二木衆聞申候て、有賀又左衞門と, 罷歸り候砌り、追々指集、百騎はありにて、深志へ御著被成候事は、同日八, つ時分ヒ而御座候、夫より城へ取かけ、翌日の四つ時分迄せり合、双方手, 負死人數多御座候、其上扱に被成、洞雪樣をは越後へ送り申候、貞慶樣城, に、宮木の山野神にて御目見へ仕、夫より下條衆御返し被成候、扨御供申, 行被下候、拙者式も岩岡百貫の所被下候事, 天正十年七月十七日, テ伊奈ニ, ノ援ヲ得, 貞慶頼安, 後ニ送ル, ヲ攻ム, 貞種ヲ越, 入ル, 貞種義昌, 八二

頭注

  • テ伊奈ニ
  • ノ援ヲ得
  • 貞慶頼安
  • 後ニ送ル
  • ヲ攻ム
  • 貞種ヲ越
  • 入ル
  • 貞種義昌

ノンブル

  • 八二

注記 (25)

  • 389,702,71,2153月十九日、廿日に、妻子を深志へ移し申、其上萬事御仕置被成、方々口々へ
  • 1210,697,72,2159申者を飛脚に進上仕候へは、下條迄御著被成、下條殿御取持にて、上伊奈
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