『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.484

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は、心氣遣も有へしと、古老の語傳也と云々、考こ、宗堅宅と云蔓諸記こ, を押込、御勝手よき樣こ御置候、鞘はしりたる時に討〓かりし物をと、, こ極る、忠興君待受られ、一色も心疑もなく登城也、然は米田宅とあら, 忠興君の御腰物を、中島甚之允, 一説、御腰物に宗堅障り候を、御取直御いたたき候へは、鞘はしりける, 後に被仰候と云々、是非不分明, 路は若輩こ而、其時は宮仕の役を勤むと云々、, 持出置たりしか、御柄の勝手惡, 有之候得共、宮津御本丸といふ事、前後の樣子左も有へきと見へ候間, は、弓の木の城の手當也、中路外樣新參也、各大に虚説也と云々、又云中, かりしを、米田宗堅御肴を持出、わさと袴のすそ御腰物と障りしを、取て, 老人雜話集こ、御腰物を米田監物持出と有、又御討果も信長死去の明, 戴時、少し鞘はしりたるを押込候を、御勝手よき樣ニ忠興君御直候, 或書、御腰物こ障りたる者を、松井共、有吉共、中路共云、皆非也、松井、有吉, 是を本文こ用申候、尚追考可仕也、, 一説、御腰物御右に有しを、宗堅態障り押戴き、左の方と直すと有、, 天正十年九月八日, 一二柳田, 久三郎、, 御年譜并米田家記, 御年譜, 四八四

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  • 一二柳田
  • 久三郎、
  • 御年譜并米田家記
  • 御年譜

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  • 四八四

注記 (22)

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