『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.5

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信孝いかゝは思召けん、舊冬秀吉と和睦之契約を變さられ、柴田、瀧川と被, 〔豐鑑〕ニ袖露, り、十九日こは、至岐阜おしよせ可攻干と、支度にて侍りしか共、夜半より雨, 濃州令出馬可打果と、卯月十七日曉天に長濱を立て、同日亥之刻大柿に著, く存知、及助宥候し、今又かく約變、自業得果なれは、不及思惟事なりとて、至, 美濃に御座さし三七信孝、柴田か軍發さしを、時を得たりとや思ひ給ひけ, ん、兵をあつめ催し給ふと聞て、弟美濃守秀長に兵あまた添て、木本に殘し, をた、柴田を守らせ、秀吉二万計の勢を具して、美濃國に赴き、三七信孝と戰, 仰合、敵之色を立、氏家内膳正、稻葉伊豫守か分領之在々所々少々放火有之, 由、注進有しかは、秀吉卿、舊冬岐阜を可攻平之處、信長公御厚恩を忘れかた, 陣し、翌日十八日の早天に、氏家、稻葉か勢を以、信孝之御分領悉放火してけ, 〔太閤記〕五織田三七殿與秀吉及鉾楯事, 〓しとて、濃西大垣城に著給ふ、, 六日滯留、ハ, )上下略、秀吉、勝家柳瀬ニ對陣スルコト及, ヒ中川清秀戰死スルコトニカヽル、三月十, ノコトニカヽル、本月十三日及ビ同十七日ノ條ニ收ム, 十日ノ條ニ收ム、, ヽ〇上下略、山路正國、勝家ノ陣ニ奔ルコト及ビ峯城落城, 七日及ビ本月二, 孝ノ分領, 十八日信, トノ説, ニ放火ス, 天正十一年四月十六日, 五

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  • )上下略、秀吉、勝家柳瀬ニ對陣スルコト及
  • ヒ中川清秀戰死スルコトニカヽル、三月十
  • ノコトニカヽル、本月十三日及ビ同十七日ノ條ニ收ム
  • 十日ノ條ニ收ム、
  • ヽ〇上下略、山路正國、勝家ノ陣ニ奔ルコト及ビ峯城落城
  • 七日及ビ本月二

頭注

  • 孝ノ分領
  • 十八日信
  • トノ説
  • ニ放火ス

  • 天正十一年四月十六日

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注記 (26)

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