『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.65

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を頼とし、普請以下かた計にこしらへ候しなり、是をうすんなとゝは、上方, おけへ置し取出共乃普請は、何も丈夫におはしまし候、余語之海のあなた, んか、いかゝ思ひ給ふそやと云けれは、尤助成申度事は飛立計なりと云と, なは中川瀬兵衞尉か有し要害は、多くの取出之城共を隔て、敵あひの遠き, 色を立けさられ、氏家、稻葉か分領放火し給ふに依て、信孝を退治せんとの, 州令發向由候、其意趣か、三七殿今度勝家を救はんと思召、秀吉に對し、敵之, も、大山を隔て、大敵其間にあれは、不及了管事共なり、何とそ救ひ奉らん行, 義なりとかや、然は信孝御心さし乃程を救ひ給はては不叶事にておはさ, もあらは、承度こだ候へと云し時、山路はゝやき家まは、上方より、北國勢を, よかんめるを、兵ともの〓かれぬるにや、少引退き、余語海の汀に勢をとゝ, の所なれは、大勢に叶はに討れにけり、だのまゝ本の陣に引たらましかは, 同十九日之早朝に、將監、佐久間玄蕃允に云やうは、羽柴筑前守一昨日至濃, めつ、, 〔太閤記〕五山路將監進中入欲遂宿意企之事, ヽ〇土下略、秀吉、信孝ヲ討タントシテ美濃ニ赴クコト及ビ清秀、大岩山, ニ戰死スト聞キテ、急ギ賤嶽ニ軍ヲ班スコトニカヽル、本月十六日及, ビ本日下ノ, 條ニ收ム、, 山路將監, ヲ盛政ニ, 敵陣攻撃, ノ湖畔ニ, 清秀ノ壘, ハ防備薄, 盛政余吾, 屯ス, 説ク, 天正十一年四月二十日, 六五

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  • ヽ〇土下略、秀吉、信孝ヲ討タントシテ美濃ニ赴クコト及ビ清秀、大岩山
  • ニ戰死スト聞キテ、急ギ賤嶽ニ軍ヲ班スコトニカヽル、本月十六日及
  • ビ本日下ノ
  • 條ニ收ム、

頭注

  • 山路將監
  • ヲ盛政ニ
  • 敵陣攻撃
  • ノ湖畔ニ
  • 清秀ノ壘
  • ハ防備薄
  • 盛政余吾
  • 屯ス
  • 説ク

  • 天正十一年四月二十日

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  • 六五

注記 (29)

  • 280,588,65,2211を頼とし、普請以下かた計にこしらへ候しなり、是をうすんなとゝは、上方
  • 513,592,64,2206おけへ置し取出共乃普請は、何も丈夫におはしまし候、余語之海のあなた
  • 861,592,68,2209んか、いかゝ思ひ給ふそやと云けれは、尤助成申度事は飛立計なりと云と
  • 393,588,68,2211なは中川瀬兵衞尉か有し要害は、多くの取出之城共を隔て、敵あひの遠き
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