『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.670

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た東三河は御手に不付候よし、, んを、卅五六才にて常陸笠間にて御病死, 候、平右衞門法體仕、正西と申き、, 間の里々、地下人の心しつまり、次第々々西三河御下知に隨ひ候へ共、ま, 樣の御引合、下々感し奉り候よし、金七郎殿江戸にて御小性被成、萬御才, 云所に、新取手を被成立、家康樣を御馳走、それゆへ岡崎津のひら三里の, 平衞門ほとの親類またも二三人もたせられたきよし、家康樣へ言上被, 御衆のはし故、御普請具、鹽、味噌、八木等指上申候、宗輝樣御滿足のあまり、, て申上るもの無之、御たと〳〵しき御時分、御三代前之宗輝樣津の平と, 成候之條、御失念なくたひ〳〵御尋被成候、御淀之旨末のケ條に可申上, 覺にて、尾州大納言樣御母儀樣之ちかき御親類聟に被爲成、御知行も御, 一右津のひら取手御とりたて之比、拙者祖父石川平右衞門身上有徳、又ぬ, 拜領、御仕合能御座候つる、御長命に候はゝ、今程ぬ御大身に被爲成候は, 一宗輝樣津のひら御城主の比、御いとこ參人、此内一人富永孫太夫、數度よ, 一家康樣岡崎之城主に被爲成候へ共、亂國のうへにて、しか〳〵御奉公た, 天正十一年六月十七日, 略, ○下, 〇, ニ築ヲ設, 石川平右, ケテ家康, 康親津平, ノ爲ニ盡, 衞門正西, 力ス, 富永孫太, 夫, 六七〇

割注

  • ○下

頭注

  • ニ築ヲ設
  • 石川平右
  • ケテ家康
  • 康親津平
  • ノ爲ニ盡
  • 衞門正西
  • 力ス
  • 富永孫太

ノンブル

  • 六七〇

注記 (29)

  • 880,712,60,927た東三河は御手に不付候よし、
  • 1470,710,63,1201んを、卅五六才にて常陸笠間にて御病死
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