『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.851

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仰らるゝは、私家來の事に候へは、皆小身のより合ゆへ、少々不屆之義も候, 哉、其段申付へしとのよし也、扨御歸被戌、今日大御所、かやふに上意ありし, にて、結城, とへ御越しのせつ、驛舍にて、御家來の面々まて手あらく、荷物等なとも殊, 子となり、また結城の家をつき給へは、台徳公を御惣領に被成、御世をゆつ, 故、よき程に御挨拶申上たり、少しも苦しからす候間、驛舍にては有たき樣, り給ふ、秀康卿、常々此事をふづくに思し召、諸事御手荒に有し、江戸、駿河な, 上意に、忠隣言上之通、台徳院樣御家督に御定可被戌候由被仰、六人共に尤, 之外重くし、仍之、秀康卿の家來と聞は大に恐れぬ、此義を神君聞し召れ、或, とき秀康卿へ仰らるゝは、其方家來とも、宿々にて猥りなる振〓をするよ, 退出いたすへしとて、御思案可被成よし、扨一兩日過て、右之六人を被爲召, 秀康卿を京都へ御上せ、秀吉公の子分に被成る、元來秀康卿は、秀吉公の御, し、かね〴〵御耳に達す、左樣になき樣に申付らるへしと上意なり、秀康卿, 晴朝の家を繼給ふゆへ、結城殿と申奉る、はしめ神君、太閤と御和談ありて、, 至極之由御請被申上る、, 〔兵家茶話〕一結城中納言秀康卿は、東照宮の御嫡男, あらす, 御嫡には, 秀康ノ不, 結城殿, 平, 慶長十二年閏四月八日, 八五一

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  • 慶長十二年閏四月八日

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注記 (23)

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