『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.857

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來りて病を問へり、歸城の節、本多縫殿、, 給はすとなり、ケ樣の事權現樣御心に不叶となり、, ために御越のよし、秀吉機嫌にて、早速の御越珍重の至りなり、盃を給はら, んとて、御取上有て權現樣へ進せらる、夫より酒宴始まり、諸軍色を直す、然, ふるひたる所を過て寢所にいたり、席を隔て其病を問るゝ時に、黄門、側近, れしに、黄門、大に悦ひて寢所へ請せらる、縫殿、左右を見るに、障子破れ疊も, て來れる事、心のやすからぬゆへ也、ちかくさしよりて見候へとて、縫殿か, なき侯なるに、此病にかゝれる事命なる哉と惜あへり、縫殿、其後西尾へか, くすゝめらる、縫殿、再三辭退に及へりしを、黄門のたまはく、其方遠路を經, 過たるに似たりとのたまひしか、其身も亦異例を問んとて、越前へ立越ら, 豐後守の物語にて樣體, へり、家來中へ語て云、當御代には遠慮もあるへきことなるに、豐州の仕形, 給ひ、秀吉公の御前に平伏しての給は、愚拙異心なし、御陣の騷動問給はん, れは秀康卿、彼秀吉の一言、身にしみてかたしけなくおほしめし、終に忘れ, を聞んとて、岡崎へ到られしに、豐後守、〓をおとしてかたりたるは、たくひ, 〔野翁物語〕翁語て云、越前黄門病に罹られし時、參州岡崎の城主本多豐後, 守, ○廣, ○康, 俊, 孝, 秀康ノ最, 期, 慶長十二年閏四月八日, 八五七

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  • ○廣
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  • 秀康ノ最

  • 慶長十二年閏四月八日

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  • 八五七

注記 (25)

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