『大日本史料』 11編 10 天正12年10月 p.208

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八を種々〓應ありしと也、, 領に致すべし、第二に無事調ひ候上にて、於長殿を人質に都へ申請まじ、第三に、家, にて調へられて和談濟けると也、, 近く呼申され、家康に過たる本多平八といわるゝは汝か事かと申され、金銀をあたへ, たらば家康か心中いかゝとて、秘藏せられし定家の筆色紙に粟田口の脇指を副て是を, 給ふ、汝は天下の名物といわるゝ武士也、此二色もまた天下の名物也と申されて、平, 止事を得す一戰にも及たる事こ候、然る所に其許と秀吉無事を調られ候上に於ては、, 康病死ありとも、只今迄御持の五ケ國相違なく於長え進すへしとの事にて、秀吉自筆, 等儀秀吉へ對し少も疎意無之候得共、先頃小牧表へ出勢の儀は、其許より御頼に依て, 家康公より結納の御使本多平八に仰付られたり、平八御使を勤けるに、秀吉本多を側, 和睦有、其後信雄卿へ家康公とも和平被致度之旨〓にたのみ被申こつき、羽柴下總守・, 土方勘兵衞兩人を以、信雄卿ゟ秀吉と御和順の義を被申越候處、家康公被仰候は、我, 秀吉に對し我らの遺恨と有儀は毛頭無之候、秀吉方ゟ其許迄左樣に被致度との義に候, 〔落穗集〕三一今年秀吉には、家康公と御和談被申度と有下心にて、先織田信雄卿と, 利士方雄久, ヲ家康ニ遣, 信雄瀧川雄, 天正十二年十一月二十一日, 二〇八

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  • 利士方雄久
  • ヲ家康ニ遣
  • 信雄瀧川雄

  • 天正十二年十一月二十一日

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  • 二〇八

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  • 975,685,58,647八を種々〓應ありしと也、
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