『大日本史料』 11編 5 天正11年8月 p.746

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勢州松島の城を瀧川下總守雄親に給〓也、, 武衞の子孫津川玄蕃給り、南方の奉行とす、同國神戸乃城を信孝より一, 茲家督信雄卿御手に入といへとも、羽柴筑前守又我威を振ひ、信雄を亡, 腹の舍弟小嶋帶刀少輔に給り、北方の奉行とす、其后信雄信孝家督爭論, めにより隱謀を企つ、信雄是を憤り、同三月三日、長島城におて、謀りて彼, 一松ケ嶋津川玄蕃頭殘黨津川謙入、武衞三松、津川彌太郎、神田清右衞門、中, 雄の家長松ケ嶋の城主津川玄蕃并淺井田宮丸、岡田長門守等、秀吉の進, 野間の内海にて御自害、年廿六歳也、柴田も此前に自害し、瀧川も沒落、因, 等を召、土方河内守、天野周防守兩人と相談有て、此三人を誅せらる、因茲, 諸大名秀吉の味方なる、只信雄の味方には徳川參河守源家康也、爰に信, 瀧川一盆等也、一旦は和睦すといへとも終に合戰に及ふ、信孝討負、尾州, 池田紀伊守入道勝入、丹羽五郎左衞門長秀等也、信孝の味方は柴田修理、, によつて一戰に及ひ給ふ、信雄の味方羽柴筑前守秀吉、徳川參河守家康、, 川仁右衞門、佐々木半右衞門杯大將にて籠城す、然ルに木造左衞門佐具, さんとするにより、天正十二甲申には、既に信雄卿と秀吉と不和也、此時, 天正十二年三月六日, ヲ滅サン, 津川玄蕃, 等隱謀ヲ, 企ツ, 秀吉信雄, 門佐松島, トス, 木造左衞, ヲ攻ム, 七四六

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  • ヲ滅サン
  • 津川玄蕃
  • 等隱謀ヲ
  • 企ツ
  • 秀吉信雄
  • 門佐松島
  • トス
  • 木造左衞
  • ヲ攻ム

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  • 七四六

注記 (26)

  • 403,699,60,1281勢州松島の城を瀧川下總守雄親に給〓也、
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