『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.264

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

而可考、, より、壹万の, 守を用、子孫迄是を用候也、, 大將とし、先手可申付間、其方も立身可仕との御, と有、才八か討取たるは名有もの故、一番と成候か、又子細ありや、重, 御尋被成候に、いまた來らさる由なれは、帳に記し置候へと被仰、才八御, 被下候と也、城主加々井彌八郎は降を乞、御免を蒙り候、, 考こ、左ニ出ス丹後より藤木五左衞門え之状ヒ、有吉太郎助一番首, 有ける時、家來澤村才八討取候と言上、右駿河守は家康公も御存之者, と而、信雄の内と而は大將分之者也、此時ゟ才八日傘の指物を止メ、姫, 出候處、今日才八ヒ御諚之趣、忠興君へも御直と被仰、松井康之も御腰物, 遙後、家康公、加々井と而、平井駿河守をは、其方手に討被取候やと御尋, 五日の夜こ入て、二ノ丸乘かため候、其夜忠興君は秀吉公の御本陳と御, 前を罷立候を御呼返被成、今度越中守事、小牧の軍功、今日の働無比類に, 意と而、才八面目をほとこし退出いたし、忠興君と其旨申上候、, 今般忠興君小牧表并當城と而の御武功莫太、御家士の働他に異な, 天正十二年五月七日, 大將と有、, 一二一方の, 去共, 切ぬけてのかれ, 一ニ加々井父子, 有之, 才八姫盛, ルトノ説, ノ指物一, 重望降ヲ, 乞ヒ赦サ, 改ム, 二六四

割注

  • 大將と有、
  • 一二一方の
  • 去共
  • 切ぬけてのかれ
  • 一ニ加々井父子
  • 有之

頭注

  • 才八姫盛
  • ルトノ説
  • ノ指物一
  • 重望降ヲ
  • 乞ヒ赦サ
  • 改ム

ノンブル

  • 二六四

注記 (30)

  • 602,839,56,209而可考、
  • 1552,707,55,326より、壹万の
  • 957,781,60,780守を用、子孫迄是を用候也、
  • 1561,1418,70,1427大將とし、先手可申付間、其方も立身可仕との御
  • 717,852,74,1999と有、才八か討取たるは名有もの故、一番と成候か、又子細ありや、重
  • 1787,700,75,2141御尋被成候に、いまた來らさる由なれは、帳に記し置候へと被仰、才八御
  • 247,712,73,1662被下候と也、城主加々井彌八郎は降を乞、御免を蒙り候、
  • 835,849,73,2003考こ、左ニ出ス丹後より藤木五左衞門え之状ヒ、有吉太郎助一番首
  • 1196,778,77,2070有ける時、家來澤村才八討取候と言上、右駿河守は家康公も御存之者
  • 1074,791,74,2052と而、信雄の内と而は大將分之者也、此時ゟ才八日傘の指物を止メ、姫
  • 366,713,75,2149出候處、今日才八ヒ御諚之趣、忠興君へも御直と被仰、松井康之も御腰物
  • 1313,773,76,2074遙後、家康公、加々井と而、平井駿河守をは、其方手に討被取候やと御尋
  • 483,714,75,2146五日の夜こ入て、二ノ丸乘かため候、其夜忠興君は秀吉公の御本陳と御
  • 1669,700,78,2137前を罷立候を御呼返被成、今度越中守事、小牧の軍功、今日の働無比類に
  • 1436,702,73,1877意と而、才八面目をほとこし退出いたし、忠興君と其旨申上候、
  • 126,846,79,2008今般忠興君小牧表并當城と而の御武功莫太、御家士の働他に異な
  • 1904,702,44,380天正十二年五月七日
  • 1538,1068,47,269大將と有、
  • 1584,1074,44,308一二一方の
  • 160,724,43,102去共
  • 251,2385,41,474切ぬけてのかれ
  • 295,2395,45,460一ニ加々井父子
  • 113,723,41,104有之
  • 1128,279,43,163才八姫盛
  • 210,294,39,161ルトノ説
  • 1084,283,42,148ノ指物一
  • 299,288,42,162重望降ヲ
  • 253,284,43,170乞ヒ赦サ
  • 1040,277,41,74改ム
  • 1920,2430,41,117二六四

類似アイテム